ちょうど1か月。

 

先月の22日に父が入院してから、

未だ、一か月しか経っていないんだな。

 

この1か月間。

 

私は大切な仕事がいくつか入っていた。

 

行政主催の連続3回の講座と、

有名私立中の2年連続の2回の講演会、

民生委員・児童委員協議会の研修の講師。

 

どれも、この先、親業訓練を認知を広げていくためには

とても大切なお仕事だと思っていたけど、

 

父は逝ってしまったけれど、

葬儀も、お通夜も

仕事には穴をあけずに、こなすことが出来た。

 

父が見守ってくれているんだと思う。

 

 

クローバー

 

 

「親業をはじめてから、智子は変わってしまった」

 

母に何度も言われたコトバ。

 

それまでの、物分かりの良い娘から、

私は変わってしまったのだ。

 

ものすごく悲しかったけど、その時はまだ、私は自分を守るのが精いっぱいで、私の事を理解してもらうための説明をすることもできなかった。

 

その後、

長男が大学に合格した時、

その時はまだ、私は実家とは疎遠になっていたけれど、

 

長男が一人ですすんで、私の両親のもとに報告に行ってくれたことがあった。

 

その時、

孫が突然、一人で大学合格したと報告に来てくれたことによろこぶ両親に、

 

「お母さんが親業をやってくれていたおかげ」

 

と長男が言ったそうだ。

 

そのことを、私はその後で父から聞いた。

 

そして、父は父なりに私の仕事に理解を示してくれた。

 

そのことが、とても嬉しかった。

 

父は、

母から見ると「とてもやりにくい人」だと思われてきたかもしれないが、

しっかりと話せば、理解をしてくれる人だった。

 

情の熱い人で、

懐に入ると、面倒見もよい人だった。

 

ものすごく繊細で、

勘も鋭かった。

 

クローバー

 

 

私が「わたしメッセージ」を言うのが、

躊躇はあったけれど、それでもズバッと言えるようになったのは、

 

 

父がいつも自分をさらけ出してホンキで向き合ってきてくれたからかなと思う事がある。

 

ものすご~~~~~~~~く怖かったし、

ビクビクしていたけれど、

 

自分は「よその家の子ども」だとか、思ったことはない。

 

苦しすぎる愛だったけど、

でも、

 

愛を感じていたのだと思う。