子どもを授かったら、
どんな親でもその子の幸せを願って、できるだけのことをやってあげたいと思うはず。
でも、本当に子どものためを思うのなら、
本当に子どもの為になる行動なのか?
見極めてから親をしたいと思った。
真に自立した「大人男子」に育てたいと思った。
親は子どもにとって影響を持ちすぎるし、
子どもは親から無条件に愛されることを烈火のごとく望んでいるので、
親の無意識の行為が、
子どもに知らないうちに大きなプレッシャーを与えて、
「期待に応えたい」し、「親の期待に応えられない自分」に罪の意識を感じ、自分をダメだと思ってしまう事が多い。
親のかかわり過ぎにより、
自律的な成長を妨げて、子どもの依存心を育てて内的やる気をなし崩しにしてしまうという、
子育ての罠にスッポリとはまってしまうことがあることに、
今、
多くの心理学や精神医学の専門家は警鐘をならしている。
それは、避けたかった。
親が良かれと思ってする「行為」の中には、
子どもが「自立した大人」になることを妨げて「子どものままでいる事」を許していることがある。
私も、
子どもを産んでも、ずっと「子ども」のままだったけど、
なぜ、自分がそんな思考になったのか?よくわからなかった。
親の「良かれと思って」こそ、子どもの心を「逆なで」するので、
「ああ、逆なでされていただけだったんだ」と思えた。
何より、
「お母さんも知らなかったんだよな」と思うことで、
誰も悪者をつくらなくてもよくなったことが、一番救われた。
「誰かが何とかしてくれないかな」
「私がこうなったのは、〇〇のせい」
依存心が強くて、いつも誰かにすがって生きてきた。
それは、誰かの目を気にして誰かの評価軸で生きているということ。
だから
「あなたのせいでしょ」と言われたくないし、
望んだ評価が得られないと、メンタルをやられた。
他人の行為や言葉に傷つきすぎてしまい、評価をくれない他人を恨んだ。
そして、そんな自分が苦しかった。
他人軸で生きていると、人は永遠に幸せになれない。
そのことに気づいても、そんなにすぐに「生き方のクセ」は治らなかったから、
でも、どうしたらいいのかと、
子どもへの連鎖をせめて最小限にしたい一心で、
メンタルを強く育てるための子育て本を捜したが、
でも、そのほとんどの内容は、やり方が曖昧で、現実的ではなくて、
読めば読むほど、子育てと自分に幻滅した。
そんな、
依存的だった私が、
自律的な子どもを育てるための、
成長のスキマを完全に埋めてくれたのが、
親としての言い方を整えてくれたコミュニケーションの道具。
救ってくれたのは、
ノーベル平和賞に3度もノミネートされていた、
タテからヨコの人間関係をつくるという、当時としては画期的で革新的な考え方と方法だった。