親は、自分の価値観や世界観の中で、子どもを育てるから、
子どもは、
親の価値観の中で生きることになる。
親の価値観で生きると言うことは、
自分の価値観で生きていない、ということ、になる。
だから子どもが、成長に従って親の価値観の中で生きることに強い違和感を覚えるのは
とても自然なことだと思う。
親は、否が応でも子どもの人生に深い影響を与えてしまう。
じゃあ、
子どもが人生を自分の価値観で生きる為に親として何が必要?と考える時、
大切なのは、
子どもに、自分の価値観の修正の機会を与えられるかだと思う。
自分の価値観で生きているか?
親の価値観で生きているのか?
縛られていないか?
他人任せにしていないか?
自分の選択をしているか?
自分の価値観の修正の機会は、
新たな人間関係による、環境の変化の時が一番大きいと思う。
友達関係、
受験期、
恋愛、
就職、
結婚、
などなど。
人は、親以外の人間関係を得て、その時々で壁にぶつかりながら、自分の心地よい価値観とは何かを会得していくことができる。
人として、最も大きな成長の機会の1つが、自分が親の立場になることかなと思う。
成長の機会を与えられなかった場合は、どこか依存的なままで、「子ども」のままで人生を過ごす。
親にとって、
子どもがいつまでも自分で責任を取ろうとしない、
他人任せで主体性が無い、
どこか「依存的」でいる事
は、
自分が未だに影響力を持ち続けている証であると同時に、
自分の蒔いた種が育っていないことを見せつけられる、葛藤と苦しさを味わうことになるのだと思う。
ゴードン博士によると、
全て、「親の権力の行使の悪影響」という形で、これらの問題を紐解いている。
子供の中には青年期を過ぎ、成人してからも、服従と同意で応え続けるものがいる。こういう子供は幼いときに親の権力で非常に苦しんだ者である。(中略)こういう人は、子供のままで一生を過ごす(親業P166 3行目~)
←初めて読んだとき、ドキッとしたところ。まさに私のことだと感じた。
母が亡くなって、しばらくしてから
私たち兄弟は、親から「従順訓練」を受けて育ったことを思い知らされる。
アラカンになってもそのまま。
親の影響力の大きさに愕然としてしまう。
権力行使に従って派生するものの多くは親子関係にとって不幸なものである。子どもは親から「従順訓練」を受けた結果、臆病で、恐怖心が強く、神経質になる。(中略)自分にとって不快で困難な行動について学習するストレスから、心身ともにダメになってしまうことがある。権力の行使は多くの有害な影響が出るし、動物―子供も―の調教師にとってもリスクは大きい(親業P155 後ろから11行目)
親がアメやムチなど「賞罰」をつかって子どもをコントロールすることのリスクを、「調教師」と「動物」として記述しているのがなんとも苦しいな。。。
心身ともにダメになるって、どういうこと???
いや、
人はいつからでも変われる。
実際に、
意識が変わった時、自分の大切な価値観に気づいた時、
すでに今までの自分ではない。
人は、
自分が望む自分になれるし、その権利があるのだから、
でも、
その権利を果たす責任は自分次第。
変わる自由もあれば、
変わらない自由があるかもしれない。
自由とは、選択できることであり、
責任が伴うから。
何が幸せで、
何がその人が望んでいるのか?
そんなことは、その人次第だから、
私にはわからない。
じゃあ、
自分はどうなのか?
私はどんな人生を歩みたいのか?
親業は、
私にとっての「幸せ」を、いつも問いてくる。
親業とは、自分業。
自責で生きる、
自分を取り戻す、
とてもしんどくて、
とても幸せな道のり。