明日は、

息子の一人暮らしの引越しの日。


さっさと家を出て行く彼の姿を見て、


たくましく育ってくれた事に喜びと去られる寂しさをしみじみと味わってあります。


親として、

娘として、


今までの役割が終わりつつあります。


一つの区切りというか、

節目を感じている今日この頃。

 

仕事もきっと転換期なのかなと思いながら、

これから先、どんな生活をしていきたいのか、

自分を見つめています。



もう、

自分の事しか、考えなくてよくなった。

 

 

私は、

自分をねぎらうことが、あまり得意ではなかったので、


ちょっと油断すると、拗ねてしまうことがよくありました。

 

 

そんな時は、

他人から大切にされていないのではなくて、

自分を大切にしてあげていないのだと思うようになりました。

 

 

自分を大切にできるのは、結局は自分だけ、だったんですよね。

 

 

自分を大切にすることは、

私の人生の課題でもあったと思う。


 

それは、

究極に自分の心地よさを「味わう」こと、

その時間をあきらめない、ということです。

 

 

その前に、

自分の感性や感度を復活することが必須です。

 

 

他人の評価でなくて、

自分がどう感じるか?



自分の心の声を聞くこと。

 

 

、、、というわけで、

ネットショッピングでポチリも許す(笑)

 

自分の機嫌は自分でとるのが、大人の流儀だからね。

 

もちろん、失敗もあるし、

買ってから、本当に欲しかったのは「コレ」じゃなかった、なんて気づくこともあるけど、

 

多分、そのプロセスが正解。

 

 

クローバー

 

 

自分の心の声を聴きながら、

欲求に素直に従う生活をしていると、

本当に大切にしたいものが、次第に見えてくるので、

生活の満足度もあがっていきます。

 

 

例えば、

家事や育児についての感じ方も変わってきます。

 

 

以前の私は、

3人の息子を授かった自分が、毎日毎日、彼らのお世話に消耗させられて、

本当に可哀そうな母親だと思っていました。

 

 

ものすご~い「負担感」を味わっていました。

 

 

働いていた時は、社会の第一線でバリバリと稼いでいたのに、

その私が、こんな「惨めな」扱いを受けるなんて。。。。

 

ときどき聞こえるささやきが、

なかなか払しょくできなかったんですね。


 

そんな時は、

でも「結婚して子どもを持つ生活に没頭することは、私が選んだことだから」と、

自分の人生の選択を心の中でブツブツと言い聞かせながら、気持ちを整えていたっけ。

 

 

葛藤だらけの面倒臭い私。

 

でも、

親業を学ぶようになって、

もっともっと、自分に向き合って、



本当に大切にしたいものは何?

欲しいのは何?

 

心に蓋をしないで、思いのたけをメッセージに載せることができるようになって、

 

人生の満足度はだんだんと上がってきたんですよ。

 

 

今では、

 

大切な家族が、

私の作ったものを「おいしい」と言って食べることこそが、幸せに感じる自分になれたよ。

 

「だって、大切な人だからね~」

 

決して無理してるわけでなくて、

本心で、



照れずにフツーに言えるし、

言える関係が、喜び。

言える自分が喜び。

言える自分になれたことが、喜び。

 


先日、

久しぶりに実家を訪ねてきてくれた息子の凝った首筋をマッサージしながら、



たくさん話す、至極の時を味わいました。


 

私が本当に求めていた、

ほしかった幸せが、今、目の前のここにあるということ。

 

 

大切は人を、

大切にできる自分になれたから、

自信をもって、いつでも寄り添いも対峙もどちらもできる。

 

 

そして、

自分も大切な人も、大切にできる私に成長できた自分は偉いと思う!

←自画自賛もかなり上手になった(笑)

 


以前の私は、

大好きな人でも、

大切に思うが故に、

なぜか肝心な事は話せない自分がいたけど、


 

こんなにもありのままの自分で、家族と穏やかにずーっと過ごせる関係ができるなんて、知らなかった。