昨日から、大学入試共通テストが始まっていますね。
 
私は、共通テスト(以前はセンターテストと言っていたけど)を受ける受験生の母を計4回経験しました。
 
そのたび、親業を知っててよかったと、心底マジで思いました~
 
子どもたちの性格も年代も違うし、親としての「年季」も変わっているので、
例えば、長男の時と三男の時で「同じ苦悩」というものは一つもありません。
 
が、
 
また違うところで、その都度「親業」に助けてもらえたなあと振り返ります。
 
もちろん、
受験を経験しているのは子ども本人なのですが、

そこに関わる親としての姿勢も問われたように思います。

 

子ども達は、

学校も、

先生も、
友達も違いましたが、
 
その場その場で考えなくちゃいけなかったのが、子育てであり、
親としての在り方や関わり方になってくると、毎回気づかされました。
 
そして、
大学受験は、センター試験が終わってからが本当の勝負だと、
これも毎回思います(笑)
 
 
センター試験が終わった後、
 
子どもにとってもまったく違う想定外の景色が広がっているから、
 
本人なりに
すごく悩んでいたと思います。。。
 
 
それは、自分でも言葉にならないことが多いようだったし、
学校の先生や予備校のチューターなど周りの環境にもむちゃくちゃ影響を受けるようでした。
 
 
ホンマに揺れ動く姿を見ましたね。
 
 
そして、
受験のプレッシャーを与えられている子どもたちは、
当然ながら、予想外の状況に「戸惑い」や「気落ち」もあり、
 
最終的には
どれだけモチベーションを保てるか?
 
つまり、メンタルの強さや、どれだけ自分ごとになっていたのか?が受験の命運を分けるのかなとも思いました。
 
(もちろん、受験で志望校に受かることだけが良いという事でもないのですが)
 
追い詰められた状態で、
「親」のメンタルも試されます。。。
←経験者
 
 
こういう状況の中、
コミュニケーションの知恵とスキルを使えたこと、
 
子どもと色んな話ができたことって、やっぱり「効果的」になっていたと思います。
 
私自身も、彼に知らないうちに影響を与えているかもしれないから、(いや、影響を与えているはず)
 
 
つとめて、普段通りえを意識していました。
 
 
すると、
彼らの表情や声のトーンも安心したものに変わる気がして、
そういうことを、何度も経験しました。
 
 

 
リブログした上記の記事は、長男の時の事を綴っています。
 
三男の受験期は、またちょっと違っていました。
 
三男との対話の中で、
周りの大人たち(先生)のアドバイスを、彼自身がどう感じているか?と言う事が、わかったので、
 
先生の思惑を分析しながら話す彼の姿をみながら、深いとこ、観てるなあと思いました。
 
そしてね、
彼の方がず~~~~っと冷静なのかもしれない、とも思った。
 
当時、三男は塾に通っていませんでした。
そして、先生との距離感も一線を画しているから(あまり相性がいいらしくない)その分、客観的だったのかもしれません。
 
この状況で、
幸いなことに、私自身もかなり冷静でいられたので、
「お~、私、冷静じゃん」
って、(笑)自分がイライラしていない自分になれていたことにびっくりしてました。
 
 
学校や塾や予備校などは、そこでの「受験の戦い方」があるのだなと、つくづく感じたことがあります。
 
最終の志望校については、
保護者や生徒にあまり有無を言わせない雰囲気が漂っていたりしてました。
 
なので、自分の意思を貫いた我が子達は、かなり先生泣かせだったのかもしれません。
 
 
私は、生徒の主体性を重んじるといいながら、受験先については生徒を説得する姿勢について、矛盾を感じたりしていました。
 
でも「受験を失敗させたくない」と言う「親心」はもちろん感じていました。
 
で、
私としては、「彼の問題」ということに、一切ぶれることがなかったので、
先生に対峙する彼らの姿をも俯瞰してみることができました。
 
 
子どもが選ぶ子どもの人生は、
たとえ「失敗」と言われる結果になったとしても、
 
それが結局のところは、
最も効率的に人生を歩める道なのではないか
 
と思っているから。
 
 
これは、大学受験を最大の目的としていない、単なる通過点として捉えると、もっともなことだと思えます。
←おお~私も成長したぞ!