「今日の晩ご飯、なに?」

「うーん、ワカラン」

「そうやな。お母さんはワカランよな。じゃあ、今のところ何にする予定?」

 

我が家は私の気分により、夕食のメニューがコロコロ変わります。

 

当初「ハンバーグ」と言っていたのに、食卓に出てきたのは「鍋」だったり。そういうことは茶飯事なのです。

 

だって、食材や時間なんかで、変わっちゃうのよね。

なにか?(←サラリとやや上から目線)

 

(・・・無言の息子たち)

 

我が家では、母が気まぐれで献立を変えるのは、もう当たり前のことで。フツーです。

最近、級友との話の中で、世間一般ではそうではないと知ったようで、ショックを受けていました。

 

友だちに「うちは、晩ご飯の15分前にメニューが変わる」って言ったら、「それはキツイな」って言われたわ。他の家はそんなことがないんやな。

 

へーそうなんだ。(動じない私)

 

フツーに話す我が子と、フツーに話す私。

はっはっは。問題なしね。ごめんあそばせ~

 

こんな風に、子どものちょっとしたコトバを「裏読み」することなく、動じなくなったのも、親業を続けているお陰かなと思います。

 

 

「今日の晩ご飯はなに?」

子どもにこう聞かれるだけで、なんだかイヤな気分になる、と言われる方がおられます。

 

これ、

以前も取り上げたことがありますね。私も以前はそうでした。相手のコトバに「意味づけ」「解釈」を入れてしまうのです。

 

私が夫から、

「今日のお弁当のふりかけ、まずかったわ」

と言われて、なんだかイヤな気分になった(なりそうになった)こと。それと全く同じだと思います。

 

「まずかったわ」と言われて、「もっと美味しいのをいれろよ」と言われたように感じていたり、そういう意味を受け取っています。

 

きっと、晩ご飯全部、お弁当全部が美味しくあることに「責任」を負ってしまうのでしょうか。

なんだか自分が責められたように感じていますね。

 

で、この後「私は何てダメなんだろう」って自分を卑下したり、「仕方ないやん」って防衛したり、「なんて文句が多い人なの」って攻撃したり、戦闘モードに入ってしまい勝ちです。

 

でもね、よく思い出してください。

 

「今日の晩御飯、何?」

「今日のふりかけ、まずかった」

 

相手が行ったのは、ただの事実。率直な感想。

決して責めているわけではない(かも?)です。

このことを頭に入れていないと、とっさに言ってしまい勝ちになるのは、相手を責めるセリフです。

 

「もう、そんなこと言わないでよ!」

「何だっていいでしょ!」

 

攻撃されたように感じると、とっさに防御したくなるのは、もう、本能ですね。

なので、これは防ぎようがありません。

 

だから、何も問題がない時に、ちょっとした見方を変えることの知恵を知っておいてほしいなと思います。不要な争いを避けることができるかもしれないからです。

こういう言い方をされても、全く気にならない方にとってはどうでもいい話ですね~

 

でも、この方は「今日の晩御飯、何?」と言われると、嫌な気持ちになるのです。

 

これも「わかるわかる」とか「ダメね~」とか「考えすぎよ」とか、そういう「評価」は不要。

この方はそれが気になる方だからです。

 

でも、それを伝えなくては相手には自分がそういう人であることを理解してもらいにくいかもしれませんね。

 

私は、自分の事を伝える努力をする前に、相手を察してくれない人だと責めるのは、ちょっと違うなと思います。それはフェアでない。そして、相手が可哀想です。

 

でも、なぜそれを伝えることがむつかしく感じるか?というと、上手な伝え方を知らないということと、何となく相手の期待の添えられない自分を責めている、即ち自分で自分を責めているのかな?とも思います。

 

事実をありのままにとらえることがむつかしいのは、良い親・良い妻でないことの罪悪感が大きすぎることが原因の一つだと思います。

 

もう、瞬間的に「防衛」してしまいますからね。

 

これは、本当に今の子育てを難しくしている事の元凶だと思っています。