救助者になる罠を避ける ≪ゴードン博士のことば≫

ほかの人がかかえているトラブルや苦痛をやわらげたいという思いは誰にもあります。
自然な思いです。
コンピューターの専門家なら、「人間は、愛する人に心を配り、彼(または彼女)を守るためにできることは、何でもするように配線されているんです」と表現するかもしれません。
苦しむのを見るのはイヤなのです。

ところが、苦痛をやわらげるつもりの行動が、ときに、救助活動になってしまうことがあるのです。救助活動とは、トラブルをかかえた人が一人でもできるどころか、一人の方がむしろうまくできるかもしれないことを、ほかの誰かが代わりにしてしまうことです。

このような救助活動をよしとする姿勢に、あらゆる人間関係がひきずられ、誰にとっても否定的な影響を与えてしまいます。

救助活動は、救助される人を犠牲にして行われています。

救助者は相手を、助けを必要としている、無能で、状況にふりまわされて身動きのとれなくなった犠牲者とみなします。この態度が救助者を一段上に引き上げ、自分は有能で、できる人だという立場に立たせてしまうのです。

ゴードン博士の人間関係をよくする本より (トマスゴードン著 近藤千恵訳 大和書房) 

 

 

 

 

 




「早く起きなさい」
「忘れ物はない?遅れてもしらないよ」

子どもが遅刻しないように、忘れ物をしないように、良かれと思ってかけている言葉ですね。起こしたり、用意をしたり、送ったり、親だったら当たり前のように世話を焼いていませんか?

おかんがあれこれ助けてあげると、子どもはますますヘタレになる・・


ゲッ


これは、言葉そのものがダメなのではありません。
しかし、救助活動 ではなく、支援活動 という方法もあることを知って欲しいです。


誰かが川で溺れていと、川岸へ引っ張りあげますね。これは救助です。
救助が必要な時も、もちろんあります。
でも、そんな機会はめったにありません。
子どもが頻繁に求めてくるのは救助ではなく支援です。

では支援とは、どのようなことを指しているのでしょうか?

子どもが寝坊して遅刻しそうな時は、支援をするのか?救助なのか?
どっちがいいのでしょう?

それは具体的にどのようにするのか?

どうしたら子どもを犠牲にせずに助けてあげられるのか?
どうしたら子どもが自分で考えるようになるのか?



状況により事態は変わります。今を見極めて、自分の気持ちも考えながら、効果的な親の接し方=ベストコミュニケーションを導き出す体系的なコミュニケーション法があります。

それが、親業です。

気持ちいいくらいピシッと定義できて、シンプル!
わかりやすい!
それが理に適っているので納得!
あらゆる人間関係にも使えますよ!


親業ゴードンメゾットは他の育児書と違うやり方に思えることがたくさんあります。
親業は、真逆に見えるいくつもの子育て法を深い部分で包括します。
それは、人間関係の原理原則を扱っているからです。