【3/12】和倉温泉創造的復興計画
皆さんこんにちは。
2月は丸1ケ月ブログの更新がありませんでしたが、各種会議、説明会出席、復旧作業、給水、掃除、お風呂&ランドリー通い、などなどあっと言う間の日々でした。
まだこちら和倉町、石崎町、能登島町、あと奥能登方面では珠洲市や輪島市、能登町、etc、が断水中です。
全国各地より水道復旧工事応援隊の皆様に作業していただきこちら七尾市においては全世帯数の83%程まできました。3月中には通水する見込みです。
当館近くのお祭り会館駐車場にて日々給水活動が行われています。皆さんここに給水に通っています。
ウォーキングで和倉町の小高い山に上がって街中を歩きました。
屋根にブルーシートの家があちこちに。
倒れたり、傾いてしまった家々も。
幼少期の小学校への通学路でその光景を目にするので胸が痛いです。
丸2ケ月経って解体や補修作業に入った光景がちらほら。
なので日中はそんな人達や給水に向かう人の姿。
夜は真っ暗で誰も歩いていません。
線路も直って電車は特急、のと鉄道など、本数は限られますがほぼ通常運転に近い形で動き出しました。
道路、電車、電気、水など、まずは生活インフラを回復する復旧段階です。
痛みが激しかったのでまだまだそこに時間がかかります。
復旧が終わったら復興。
和倉温泉創造的復興、ワーキング委員会が立ち上がり、色々意見を出し合って未来に向かって復興ビジョンを作りました。
県庁へ。
【1/29】能登半島地震・元旦から今日までを振り返る⑤
皆さんこんにちは。
あっという間に3週間が過ぎました。
避難先の和倉小にも自衛隊や市から支援物資が安定して届くように。また、その間地元飲食店の勇士がボランティアで炊き出しチームを結成!
それ絶対美味いやつ〜😆
幼馴染の中華「北京」やお好み焼き「樂」君も頑張っていたようです。カッコいいやん😆
片付け作業や日々の生活、ガタガタになった道路は少しずつアスファルト工事されてとりあえず通れるように。
そして時間の経過とともに増える全国各地より災害復旧にやってきてくれる自衛隊、インフラ整備、救急車、消防車、パトカー、etc‼️
他府県ナンバーとすれ違う日々‼️
そんな遠いところからありがとうございます😭‼️
凄い光景を見ているなーと。。。
ふと、夕陽の千里浜(高松SA)で思った次第です。
【1/23】能登半島地震・元旦から今日までを振り返る④
皆さんこんにちは。
1月11日 和倉温泉旅館組合臨時役員会
ここで初めて久しぶりに皆さんと顔を合わせる。町や各旅館の被害状況報告など。酷い。
また今後のおおよその流れ、過去の東北や熊本の震災時の金融支援や国県市の概要など。
あっという間に3時間が経ったが、現状は近々の事で頭がいっぱい。
それでも皆さんと顔を合わせて、情報も共有できて、かなりほっとしたというか一旦落ち着いた記憶。
何より元旦にあれだけ沢山のお客様がいて、沢山のスタッフがいて、大きな怪我、事故がなかったのが何よりと言いますか、奇跡に近いなと。
道路があちこち酷かったので、この頃に初めて和倉町の自分の家の周り以外を見た記憶。
あと、お正月帰省してた幼馴染がLINEアルバムに投稿した写真で和倉町の壊れた現状を初めて知りました。
港や総湯、弁天崎源泉公園、少比古那神社など。
個人的には少比古那神社の鳥居が崩れていたのを写真で見た時が一番ショックだったな。。
私が生まれた時から18歳までの旅館(自宅)のすぐ前、春秋のお祭りや、友達と遊んだ色んな思い出の場所なので。。😭
続く。
【1/22】能登半島地震・元旦から今日までを振り返る③
皆さんこんにちは。
避難先の和倉小学校で元旦の夜を過ごしたのちは、4日か5日頃までこの先どうしよう、再出発で別の場所、別の仕事へ行こうかと本気で考えたりしながら、テレビの地震関連のニュース眺めたり、スマホをイジったり、休業のお知らせやキャンセルのご案内、少しずつ後片付けしたりしていました。
また、特に夜や朝方、お昼もあったかな?強めの余震もまだまだ多くて、敏感になってるからその度に心臓に悪い思いをしていた記憶です。
そんな中、子供達が大きくなっているのもあって、お正月で久しぶりに集った5人家族、励まされるというか、子供同士のふざけあったりの笑顔や、散らかった旅館や自宅の後片付けを手伝ってくれて、2007年の能登沖地震の時は小さかったので、逞しくなったなーと、女将(妻)と2人胸にくるものがありました。
またスタッフも、自分たちの事もある中、力を合わせて手伝ってくれて、ただただ感謝でした。
ぐちゃぐちゃだったのが、掃除されて、綺麗になって、それによって頭の中も明るくなって、もちろん本格的な工事がまだまだ必要でいつになるか、できるのか、現時点では見えてないのですが、1月7〜9日頃この頃には頑張ろう、復興しよう、という感じの投稿や気持ちになっていたと思います。周りの旅館さんや飲食店さんの気持ちや投稿にも励まされた感じでした。
あと大きかったのは、過去にお泊まりいただいたお客様からの励ましのメール、和倉町出身の大阪や東京など都市部にいる友達からの久しぶりのメールでした。
続く。
【1/18】能登半島地震、元旦から今日までを振り返る②
皆さんこんばんは。
昨日の記事からの続き。
高台の和倉小学校に避難するとあっという間に町の人や車がどんどんやって来て、最初は路上駐車で済んでいたんですが、出会った友人と恐怖体験を語り合いながら(顔色悪い)、体育館に入って、浴衣の着のみ着のままのお客様もたくさんいて、そのうち町内会の人達が自ら駐車場整理係り、放送アナウンス、運搬などなど、いつの間にか役割分担して、教室や体育館で一夜を過ごす事になりました。
寒い寒い元旦の夜は、家から持ってきた毛布2枚で暖を取りながら、身を寄せ合って、朝までトータル30分も寝てないでしょうか、たまに強い余震もあったり、不安なのと体や腰が痛いので、起き上がって懐かしい和倉小学校の中をうろうろ歩いたり、スマホで情報を眺めたり、職員室のテレビに映る映像を眺めたり、友人とかるく話したり(顔色悪い)、各旅館のスタッフさんが自館のお客様を探したり声掛けしたり、毛布を持ってきたり、とりあえずの食料で旅館のお菓子や水など、みんなに配って、貰う方も譲り合いながら、長い長い不安な夜はいつの間にか明るくなっていきました。運動場は車でいっぱいでした。フロントガラスに霜が降りていました。
我が母校・和倉小学校体育館
私が2年生の時に新校舎として建てられた学校です。(39年前)
続く。









