こんにちは(‐^▽^‐)
親孝行アドバイザー 秋田谷ゆいかです。
今日は親孝行にまつわる
こんな昔話のご紹介☆
長野県の民話です♪
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親子地蔵
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むかしむかし、九州の筑前の国に、
加藤重氏(かとうしげうじ)という人がいました。
重氏は筑前では大した力を持っていましたが、
人の世に無常を感じて、
あるとき妻も子も捨てて出家し、
仏に仕える身となってしまったのです。
重氏は名を苅萱道心(かるかやのどうしん)と改め、
高野山に登って修行に励みました。
こうしていつしか、十三年の月日が流れていったのです。
ある日の事、高野山のふもとに
一人の男の子がたどり着きました。
名を石童丸(いしどうまる)といい、
道心が筑前に残してきた息子だったのです。
石童丸は父が高野山にいることを知り、
一目会いたいがために、長い旅を続けてきたのでした。
身も心も疲れきった石童丸は、
出会った坊さんにかけよると、
「もし、この山に筑前から来た
お坊さまはおられませぬか?
私の父で、名を加藤重氏と申します」
と、たずねてみました。
するとその坊さんはとても驚いた様子で、
石重丸をじっと見ると
涙をこぼしながら言いました。
「私は、そなたの父とは長年の友人じゃった。
それが昨年の夏、
悲しいことに父上は急な病で
亡くなられてしもうたのじゃ」
実はこの坊さんこそ、
石童丸が夢にまで見た父の加藤重氏だったのです。
そうとは知らない石童丸は、
父が死んだとなると、
自分も出家しようと決心したのです。
そうしてそのままお山にとどまると、
道心の弟子となりました。
こうして二人そろっての、
修行の生活が始まりました。
けれども、わが子を弟子として
同じ寺に住むことは、
父の道心にとってはとてもつらいことでした。
親子の情は日に日につのる一方、
またその分、修行に身が入らないのです。
「こんなことでは仏に仕えることはできん、
また、いつか本当のことが
分かってしまうであろう」
道心は我が子への念を断ち切り、
山を去って信濃の善光寺へと旅立ちました。
そしてそこで念仏三昧に明け暮れた末、
八十三才で大往生をとげたのです。
一方、高野山で修行を重ねていた
石童丸は、ある晩、不思議な夢を見ました。
うす紫の雲がたなびく中、
仏さまがあらわれて、
「苅萱道心こそは、
そなたの父、
すぐに信濃におもむき、
父の供養をするがよい」
と、つげたのです。
こうしてすべてを知った石童丸は、
急いで善光寺を訪れると、
父の霊をねんごろに弔いました。
そうして父のたてた地蔵のそばに、
自分も一体の地蔵を刻み、
安置したということです。
いつしかこの二体の地蔵さまは、
親子地蔵と呼ばれるようになったのです。
長野市の往生寺には、
この親子地蔵と呼ばれる二体の地蔵さまが、
今でもあるそうです。
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長野市の往生寺
http://www.jodo.jp/19-047/

親孝行アドバイザー 秋田谷ゆいかです。
今日は親孝行にまつわる
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長野県の民話です♪
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親子地蔵
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むかしむかし、九州の筑前の国に、
加藤重氏(かとうしげうじ)という人がいました。
重氏は筑前では大した力を持っていましたが、
人の世に無常を感じて、
あるとき妻も子も捨てて出家し、
仏に仕える身となってしまったのです。
重氏は名を苅萱道心(かるかやのどうしん)と改め、
高野山に登って修行に励みました。
こうしていつしか、十三年の月日が流れていったのです。
ある日の事、高野山のふもとに
一人の男の子がたどり着きました。
名を石童丸(いしどうまる)といい、
道心が筑前に残してきた息子だったのです。
石童丸は父が高野山にいることを知り、
一目会いたいがために、長い旅を続けてきたのでした。
身も心も疲れきった石童丸は、
出会った坊さんにかけよると、
「もし、この山に筑前から来た
お坊さまはおられませぬか?
私の父で、名を加藤重氏と申します」
と、たずねてみました。
するとその坊さんはとても驚いた様子で、
石重丸をじっと見ると
涙をこぼしながら言いました。
「私は、そなたの父とは長年の友人じゃった。
それが昨年の夏、
悲しいことに父上は急な病で
亡くなられてしもうたのじゃ」
実はこの坊さんこそ、
石童丸が夢にまで見た父の加藤重氏だったのです。
そうとは知らない石童丸は、
父が死んだとなると、
自分も出家しようと決心したのです。
そうしてそのままお山にとどまると、
道心の弟子となりました。
こうして二人そろっての、
修行の生活が始まりました。
けれども、わが子を弟子として
同じ寺に住むことは、
父の道心にとってはとてもつらいことでした。
親子の情は日に日につのる一方、
またその分、修行に身が入らないのです。
「こんなことでは仏に仕えることはできん、
また、いつか本当のことが
分かってしまうであろう」
道心は我が子への念を断ち切り、
山を去って信濃の善光寺へと旅立ちました。
そしてそこで念仏三昧に明け暮れた末、
八十三才で大往生をとげたのです。
一方、高野山で修行を重ねていた
石童丸は、ある晩、不思議な夢を見ました。
うす紫の雲がたなびく中、
仏さまがあらわれて、
「苅萱道心こそは、
そなたの父、
すぐに信濃におもむき、
父の供養をするがよい」
と、つげたのです。
こうしてすべてを知った石童丸は、
急いで善光寺を訪れると、
父の霊をねんごろに弔いました。
そうして父のたてた地蔵のそばに、
自分も一体の地蔵を刻み、
安置したということです。
いつしかこの二体の地蔵さまは、
親子地蔵と呼ばれるようになったのです。
長野市の往生寺には、
この親子地蔵と呼ばれる二体の地蔵さまが、
今でもあるそうです。
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長野市の往生寺
http://www.jodo.jp/19-047/
