一週間前の今日8/8

オリビア・ニュートン・ジョンが

その73年の生涯を閉じた。

米カリフォルニア州         

サンタバーバラの牧場で、

外では犬たちが吠えじゃれ合い、

馬たちは楽しそうに牧場内を走り回る…

そんな晴れた月曜日の朝、

オリビアは家族や親しい友人に囲まれ

静かに旅立っていった…という。

 

後に愛娘のクロエは涙ながらに

「これでやっとママは苦しみから解放された」と語った。

 

 

オリビア・ニュートン・ジョン、享年73歳。

 

この一週間、

海外のメディアで報じられた

オリビアの追悼ニュースを

片っ端から観た。

 

元気だったころのオリビアの映像、

特にインタビュー番組での彼女の話、表情を

食い入るように見て聴いて、

“生”について、“死”について、

さまざまに思いを巡らせた。

 

歌手としての輝かしいキャリア、

数々のヒット曲、グラミー賞の栄光、

大ヒット映画「グリース」のサンディが

当時のティーンエイジャーたちに与えた影響など…、

宝のレガシー(遺産)となって残るのはもちろんのことだが、

私が特に深く、深く感銘を受け、感動したのは、

彼女が30年に及ぶがんとの闘いに

負けなかったことだ。

 

1992年7月、

父親のブリンリー・ニュートン・ジョンが

肝臓がんで亡くなったその週、

オリビアは乳がんの宣告を受けた。

 

もともと腫瘍ができやすい体質で

自発的に検査は受けていたそうだが、

この時は何か変だ…

という予感らしきものがあったという。

 

それでも父の死の直後のことで

かなりの衝撃だったようだ。

 

ちょうど、アルバム

「Back to Basics: The Essential Collection 1971-1992」

が発売されたばかりで、

プロモーションを兼ねた

10年ぶりのツアーが予定されていた。

 

が、ツアーも、数々のメディア出演も

すべてキャンセルし、

当時はまだがん告知を公にする著名人は

ほとんどいなかったなか、

彼女はあえて乳がんであること、

がんと闘うことを発表し、

治療に専念。

 

そして、がんを克服した。

 

さらに、自らががん治療を受けて寛解したことにより、

がん治療の啓発運動に力を注ぐようになる。

 

がんに対する様々な啓蒙、啓発運動をおこし

イベントをプロデュースし、

得た収益をがん患者の支援に役立てた。

 

その代表的なイベントに

クリフ・リチャードも参加した

中国、万里の長城のトレッキングがある。

 

2008年4月7日~21日まで

万里の長城を徒歩で渡るというもの。

 

この時、その2か月後にオリビアの夫になり、

治療や精神面で彼女を最後まで支えた

ジョン・イースタリングも一緒に歩いている。

 

 

そして

2012年、がん検診の啓発、

治療の開発、緩和ケアなどのために

メルボルンに

「オリビア・ニュートン・ジョン がん健康センター」を建設。

 

 

また、財団も設立し、

がん患者の支援にさらに力を注ぐようになる。

 

彼女は自らの名前をセンターにつけるのを躊躇したそうだが、

母親に

「オリビア・ニュートン・ジョンの名前を公益のために利用しないでどうするの?」

と背中を押されて命名したという。

 

更に、この年の冬には

ジョン・トラボルタとクリスマスのチャリティ・アルバムも制作。

 

ここにはバーブラ・ストサンド、ジェーム・ステイラー、

チック・コリア、ケニーG、

トニー・ベネット、クリフ・リチャード、

カウント・ベイシー・オーケストラなど、

そうそうたるメンバーが参加。

 

アルバムの収益はすべてがんセンターに寄付。

 

ところがその翌年2013年、

6歳年上の姉ローナが進行性の早い脳腫瘍のため他界。

 

オリビアもまた、がん細胞が肩に転移して再発。

 

それでも彼女は

「抗がん剤や、放射線などの化学療法は

副作用があり、毒にもなりえるから、

自然から力をいただく治療も活用している」と、

東西の治療法を積極的に取り入れ、

闘った。

 

いや、彼女の言葉を借りて言うなら

Journey with cancer

がんと共存、一緒に旅した…。

 

夫のジョン・イースタリングが、

アマゾンから様々な植物を取り寄せ栽培し、

研究している自然ハーブ療法。

 

彼は21種類もの異なる医療用大麻を栽培、

オリビアのために様々な植物性生薬を開発している。

 

医療用大麻は症状の緩和に効果があるようで

「痛みの緩和や、睡眠・不安の解消、

炎症緩和にとても役立っている」と

オリビアは語っている。

 

「あの純情可憐なオリビア・ニュートン・ジョンが

マリファナを吸っている(笑)!」と

冗談半分のインタビュアーの言葉に、

オリビアは真顔で

「マリファナはいわゆるドラッグではないわ。

私も初めは慎重だったけれど、確かに体調がよくなるの」

と、あの輝くような笑顔で答えていた。

 

大麻をがん治療に使用することについて、

科学的な臨床実験結果はまだ出ていないが

化学療法による吐き気や倦怠感、痛みなどの

副作用には効果的だという研究もあるようで、

オリビアの「がん健康センター」では

その研究が行われており、

オリビア自らが

その実験研究のいったんを担っている。

 

それでもがん細胞はオリビアの体を蝕んだ。

 

2017年、今度はがんが脊椎に転移。

しかもステージ4との診断。

 

その痛みは泣き叫びたいほどの激痛だったようだが

オリビアは弱音を吐かなかった。

 

オリビアはへこたれなかった。

負けなかった。

 

 

様々なインタビュー番組で、

あからさまにストレートな質問をぶつけてくる記者たち…。

 

「『なぜ私が?Why me?』とは思いませんでしたか?」

の質問に、

オリビアは

「私でいいじゃない?Why not ?」

「私だからよ」

と答え

「犠牲だとは思ったことがない」

「私ががんになったのには意味があると思うの。深いところで。」

「がんになっても、負けないで生き延びるという目的、理由があると思うの。」

「だから私は、そうなることを自ら選んだのだと思う。」
「がんと闘い、負けないこと、それは私のMission、使命だと思う」

 

なんて強い女性だ!

なんと素晴らしい人間だ!

 

真摯に答える彼女の輝く瞳に

感動を通り越して、

なにかとても崇高な存在!

を見ているようなか気がした。

 

思考が身体を支配していると思うから

生存率とか、余命などを聞かされると

その確率を脳が信じ込み、

すると身体もその通りになってしまう…
だから自分にはその数字は当てはまらないと拒絶し

少しでも改善したら、そのことに感謝する。

 

Mind、思考、考え方次第で生き方が変わる。

 

常にPositive(肯定的、前向き)な方を向いて、

何事もOptimistic(楽観的)に考え、

Appreciate(感謝)して生きる。

 

三度目の宣告を受けても

「生きていることに感謝。

死を恐れるのではなく

毎日を生きていること、それ自体がギフト。

生きている毎日がギフト」

と、思えるという。

 

さらにオリビアは

「がんになって、こんなに生きて、

多くの人の助けになって、役に立てて、嬉しい」

 

自分のこれまでの

歌手オリビア・ニュートン・ジョンとしてのキャリアより、

今が一番生き甲斐のある大切なキャリアだと思う…

とも語っていた。

 

だからこそ、

そんなオリビアが

穏やかな朝の光の中で

静かに旅立った後に、

世界中の、あの人もこの人も、

あの番組もこの番組も、

あのニュースでも、このニュースでも、

皆が口をそろえ生前のオリビアを称え、

 

「オリビアほど純粋で楽観的で、希望にあふれ、

いつも明るく、輝きはじける笑顔で

周りの人を和ませ、楽しませ、

彼女が部屋に入ってきただけで

部屋中がぱぁ~明るくなる…、

そして、

強く、タフな女性はいない。」

「彼女こそPower House で、

Symbol of Triumph and Hope(勝利と希望の象徴)だ!」

と、熱く語る。

 

 

 

彼女が亡くなった翌日

オーストラリアのメルボルンとシドニーでは

街のランドマークのすべてが

オリビアの色、ピンクのイルミネーションに彩られ、

彼女を追悼した。

 

更に、メルボルンがあるヴィクトリア州では

オリビアの生前の功績を称え

州葬を遺族に申し出たという。

 

もちろん、遺族は快諾。

 

オーストラリアの国民は

みなオリビアが大好きだった…。

 

 

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8月8日は

私の大好きな父が

12年前に旅立った日でもある。

 

そんな日に、オリビアの訃報が届いて

8月8日は

私にとって、

さらに忘れられない日になった。

 

そしてその翌日

8月9日に

以前から予約してチケットを買っていた

泉ピン子の朗読劇「すぐ死ぬんだから」を観て

更に深い感慨に浸った。

 

オリビアは言った。

 

「いつかは死ぬのだから

生きている毎日がGiftだと思うの。

感謝して大切に生きたい…」

 

そして「すぐ死ぬんだから」の結論も

「だからこそ、今を楽しく生きるのよ!」だった。

 

この一週間は、本当に

生きること、死ぬことを

いろいろ考えた。

 

私にとっては深い思索の一週間だった。

 

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オリビア・ニュートン・ジョンは

 

がんFighter

ではなく、

 

がんSurvivor

でもなく、

 

笑顔の

がんThriver !