『不可知論』とは?
『不可知論』
聞いたコトは
ありますでしょうか?
一言で
『不可知論』とは言っても
いろいろと
細分化されるようですが…
例えば
『神』
神は居ない(と思う)が
存在していない事を
立証できないから
結論は「保留」
または
神は居る(と思う)が
存在している事を
立証できないから
結論は「保留」
この2パターンだけでも
結果的に
"態度"は同じだけど
ハラに抱えてるモノは
真逆か。
「自分」が
どう思うかは置いておいて
客観的事実を挙げられないから
「保留」
ある意味
科学的な態度とも
言えるのかな。
ただ。。。
もしかしたら
コレにより
"陥り"がち…
"陥る"かもしれないのが
『ニヒリズム』
か。。
クール&キュート!『ニヒリズム』
『不可知論』は
一種科学的とも言える
態度かもしれないけれど…
その「非情」さ
その「冷徹」さに
耐えられない
人間はどうなるか?
「生きる意味」や
「存在する意味」
「人生の意味」などの
形なき根源的な
問いに対する答えを
『神』や
『超自然』的なものに
見出していた人間はどうなるか?
絶望して
精神に破綻を来たすのを
防御すべく
"鎧"として纏う
"態度"が
『ニヒリズム』
神などいるかどうかわからない。
人生に意味など無い。
生きる意味も無い。
『フン。それがどうした?』
うん。。。
ちょっと。。。
カッコイイですね〜笑
そして…
かわいいじゃないですか〜
強がってて〜^ ^
ザ・ニンゲン
ザ・エゴ
「オレはただ生きるだけさ。」
「死んだら終わり。」
「いいんじゃね?上等だよ?」
みたいな?
カッコイイ〜^ ^
でも
この『ニヒリズム』を
"乗り越えた"?
ニンゲンが。。。
例えば
"ニーチェ"さん。
意味がないなら
自分自身で
意味を自由に設定しようぜ?
みたいな…
うん。
自由だ。
それもカッコイイ^ ^
もうひとパターンは
どうせ無意味なら
"生きてる間は楽しもうぜ!"
ってカンジ。
うん。
まぁ。。。
それも
カッコいいんじゃないですか^ ^
でも
コレらの
"科学的態度"の
"成れの果て"的な
"生き方"も
なんだか…
悲しさを
悲哀を
あるいは
悲壮さすら
纏っているのかも。
その"影"みたいなものも
ニンゲンは
「憂い」とか
「哀愁」みたいに言って
カッコイイ感じにしてますね。
そんな
ニンゲンに
別次元の生き方を
いや、
在り方を、、、
いや、
在り様を
提示したのが
かの、
『釈迦』
『イエス』
なのかな。。。
"人生の意味"見つけたり!?
ホトケの"教え"は…
いろいろな宗派などに
分裂し、
「釈迦はこう言った」
「いや、そうじゃない」
「いや、オマエの理解は間違い!」
「ぺッ!オマエのが間違い!バカ」
「カーッ、ぺッ!バカというオマエがバカ」
いや…
スイマセン
こんなにはヒドくないとは
思うけど
まぁまぁ
"論争"みたいなのが
あるのかな?
例えば
「転生」
あるいは
「死後の世界」に関しても
在るって言った!
無いって言った!
答えなかった!
みたいに
解釈が分かれてるらしい…
いや、、、
バ、、、じゃない…の?
おっと!
あぶない笑
やめときましょう。
しかしまぁ
仏国土とか
六道輪廻とか
解脱とか
在るっぽいコトを
言ってますね…
「死後の世界」や
「魂」的なものの
"存在"について。。
あ〜良かった^ ^
『ニヒリズム』のみんなー
もう大丈夫だよ〜
死んだら終わり、
じゃないらしいよ?
しかも
死んだ後の
魂レベルをアゲる
魂ポイントを稼いだ方が
"より良いトコロ"に
"行ける"から
生きてる間に
"徳"を積むと
いいらしいよ?
だから
"ソレ"が
生きる意味だよ〜。
徳を積んで魂レベルを
上げるコトが。
良かったね?
真の意味が見つかったよ。
やれやれ。。。
と、
ところが…
真打ちの『ニヒリズム』が
「このレベル」にも
現れた。。。
ノンデュアリティは新・不可知論?
新たなる
「不可知論」みたいなもの?
それが
「ノンデュアリティ」
「非二元」という
概念。
解脱しようとか
転生するとか
人生に意味づけしようとか
人生を楽しもうとか
そんな
主体が
そもそも
存在しない。
全てはただそうであるだけ。
本質的に
何も存在などしていない。
『空』的な世界。
コレ…
マジでそう、、、
なんですけど。。。
だけど…
コレに向かい合う
"エゴ"であるニンゲンは
キレます。
そしてやっぱり
絶望するくらいなら
選びます。。。
『ニヒリズム』
再登場です笑
そしてそれは
なんと、
自らが
到達した
"位置"に
自らが
恐怖した
『ノンデュアリスト』も
『ニヒリズム』へと、、、
だけど!
今さら
"知らなかった"コトにもできない。。
だけど!!
『怖すぎる』
解脱など…
受容など…
できるかよ!?
だから
『ニヒリズム』を纏ってしまう。
『ニヒリズム』を纏った
『ノンデュアリスト』は
『ハイブリットノンデュアリスト』
それは…
かなりの…
ドSとなり、
"宗教"や
"高次元"や
"神"や
"宇宙人"などに
「救い」を
見出していた人たちを
理詰めで
ドン底へと
叩き落とします。
死後にすら
意味など無い。
死後など、ない。
魂レベルのあなたですら、
意味が無い。
意味が無いも無い。
そもそも
魂など存在してない、と。
さらに
「神」の存在を
証明できないから
"保留"だった
3次元不可知論とは違い
宇宙不可知論的な
非二元からは
人物的な…
一般的な人々が信じるような
『神』などは存在しないと
断言できてしまう。
無敵過ぎ 笑
なーんにもない。
『無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!』
By DIO様(笑)
非常に…
ハイレベルな
知覚を
ロジカルに
そして
冷徹に
叩きつける。
終わった…
全次元的に
無意味かつ
幻かよ?
まだ諦めるのは早い?
ちょっと
落とし過ぎましたか?笑
さて
拾うかな^ ^
拾えるか?笑
あれ…
僕が?
ドSか?笑
いやいや…
気を取り直して^ ^
ちょっと
参考資料を
使いましょう。
ある"歌"を。
『When it's cold I'd like to die 』
MOBYというアーティストの
楽曲です。
まずは
ぜひ。
聴いてみてください〜
どうでしょうか?
何を感じますか?
この歌は
「寒いと死にたくなる」
みたいなタイトルです
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
もう海を泳ぎたくない
もう潮の流れに抗いたくない
永遠に泳いでいたくなどない
あの"甘い甘いあれ"は
一体なんだったのか?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
みたいに歌っています。
なんだか
この歌…
"エゴ"が
"非二元の世界"の
"前"に立ち
自己の存在の
希薄さ...
幻のごとき
自己の在りように
向かい合って
執着の断片を
抱えながらも…
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
もう泳ぎたくない…
~もう自我努力的な生き方をしたくない
もう潮の流れに抗いたくない
~もう「何とかしよう」としたくない
永遠に泳いでなどいたくない
~無限の輪廻転生などしたくない
あの甘い甘いアレは何だったのか?
~人生の様々な感情体験は幻だったの…?
寒い…
寒い…
もう情熱も夢も…
熱い感情が...ない。
寒い。
寒いと「死にたく」なる。
"霧"のせいで
あなたの"声が聞こえない"
私が叫んだら放して
私が揺らいだら言って
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
。。。。。。。。
なんだか…
「非二元なるもの」の前で
最後のワガママを...
エゴが…
小声で言ってるみたい。。。
消えゆく
自己。
いや
存在すらしないと
"言われてしまった"
自己。
その「真実」を
受け入れたけれど
どうしようもなく…
ワガママを言わせてくださいと
言っているみたいに…
僕には、、、
聞こえます。
今から
無に溶けていくのだけど
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私が叫んだら放して
私が揺らいだら言って
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
と。。。
「少しずつ…私のペースで…
ストップって言ったら一旦ヤメテ。
コワいってなったら優しくささやいて。」
って…
「非二元」に
言ってるみたい。。。
それでも
この曲調には
静かな
喜びというか。。。
これは。。。
帰依
ですね。。。
帰依心を感じます。
帰依する
全託する
"南無"の
境地は
自我としては…
絶望みたいで
夢も希望もない
だけど
それでも
その上での
平安が"ある"
全ての"武器"を明け渡す
自我としての降参
「いいですよ。。。」
みたいな境地。
自我が
溶けてゆく刹那の
最後の独り言、か?
アレ?
「拾えた」のかな?苦笑
非二元の前に立つ
僕たち。。。
"人間の自我"には
意味を創り出すでもなく
意味を見い出すでもなく
割り切って楽しむでもなく
救いを求めるでもなく
ただ
溶けてゆくのを
受容する…
それが
絶対的な
"平安"
"幸福"なのかも…
しれませんね。
なんだか。。。
今、
こうやって
書いていて。。。
釈迦や
イエスが
人類に対して
慈愛
あるいは
慈悲を
示すのが
わかるような気が…
します。
この
『When it's cold I'd like to die 』
を歌う
自我…
人間を
愛さずには
いられないと
痛切に
感じます…
救ってあげたく、、、
なる。
その救いは
自我としては
"救い"とは思えないような
シロモノだとしても。
救いあれ。
それがどのようなものでも。
不可知論?
ノンデュアリティ?
それを賢く論じることさえ
慈愛、慈悲の前では
空虚か。
ソコが
無という
あるいは
空という
愛か。
非二元性を捉えた
始祖?
元祖?である
『釈迦』や
『イエス』が
"仏国土"や
"天国"と喩えた
"トコロ"は
実は
「非二元そのもの」
「空」
「無」
「真空」
みたいな"トコロ"
そのものか。
それをまるで
"神々しい素晴らしい場所"みたいに
「描写」し、
喩えたこと自体が、
"まだ"
気がつかない人間に対しての
"ついに"
気がついたけれど
恐怖している人間に対しての
慈悲
慈愛
だったのか。
自我を自我のまま
「救う」ことは
不可能なのだけど
それでも。。。
その
「恐怖そのもの」を
救わんとする
慈悲。
慈愛。
慈しみ。
それを…
あなたは
ただの
慰めだと…思いますか?
その
「慰め」がそのまま
「慈しみ」とも
言えるのかも…
しれないですね。。
もし
そんなもの!
ただのお慰みだ!
って叫びが
あなたの内側から
上がるなら…
まずは
"そのエゴ"を
「救う」ことが
最優先で
それが
そのまま
"帰依"
そのものなのかも。。。
全てを"悟った"
あなたにこそ…
愛、あれ。
慈しみ、あれ。
救い
あれ。
続き〜
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