私の彼は5歳年下だ

 

 

 

 

今回は

私の恋愛について

書いてみたいと思う

 

 


自分のことを表現するうえで

恋愛は欠かせないものだからだ

 

 

 

 

20代のほとんどの時間を

恋愛をこじらせて過ごした

 

 

 


そんな恋愛をしてしまった背景には

 

生い立ちや障がいなどが

複雑に絡み合っていたと思うけれど

 

恋愛をこじらせていた

という事実に変わりはない

 

 

 

 

今の彼は、5歳年下だ

 

25歳の男の子

 

だった

 

 

 

 

出会った当時

 

私は30歳
彼は25歳

 

 

 

 

あっという間に

 

今年

 

彼は29歳になる

 

 

 

 

もう

 

「男の子」という感じではない

 

 

 


5歳の年齢差は

どうしたって埋まらないけれど

 

彼もちゃんと歳を重ねているのだ

 

 

 

 

彼との平和な関係を築けるようになるまで

 

私は

 

さまざまな恋愛を経験してきた

 

 

 

 

その過程で

 

自分も傷だらけになったし

人のことも傷つけた

 

 

 

 

だから

 

自分は幸せになってはいけないと思っていた

 

 

 

 

詳細はここには書けないほど

 

当時

 

相手の男性に依存していた

 

 

 

好きで好きでしょうがなかったし

実際ほんとうに大好きだった

 

 

 


でも

 

その恋は最終的に

私が望むカタチでは実らなかった

 

 

 

 

6年間くらい

ずっと大好きだった

 


その恋が

もう実らないと

わかってからの1年間が

 

いちばん辛かった

 

 

 

 

でも

 

その経験がきっかけとなり

 

私は少しずつ

精神的な自立へ向かっていった

 

 

 

 

もちろん

 

スムーズにはいかなかった

 

 

 

当時から

 

自覚がなかっただけで

不安障害の症状はあったし

 

その症状に苦しんでいた

 

 

 

 

自覚がなかったから

 

なんでこんなに苦しいのか

わからなかった

 

 

 

辛い恋愛のせいだと思っていた

 

 


だから

 

その人と会わなければ

その人を諦めれば

 

私は元気になれると思っていた

 

 

 

 

たしかに

 

その人と離れてから

 

私は少しずつ私にとっての

よい方向へ進めたので

 

あながち

間違いではなかったのだけれど

 

 

 

 

ただ離れるだけでは

今の自分はいなかった

 

 

 

 

今日までにやってきたことは

たくさんある

 

 

 

毎日必死で

もがいてきた

 


今も

もがいている

 

 



でも今は

 

いつも同じことで

もがいているのではない

 

 

 

 

常に

 

アップデートされた自分が

 

より

 

もがきたいことでもがいている

 

 

 

 

自分で

 

「こんなことで悩むなんてバカらしい」と

思うようなことでは悩んでいない

 

 

 

当時は

 

「こんなことで悩みたくない。もっとちゃんとしたことで悩みたい」と

 

思っていた

 

 

 

 

健全な悩みを欲していた

 

 

 

自分でバカらしいと

思ってしまうようなことで悩みたくなかった

 

 

 

でも

 

どうしたらいいのかわからなかった

 

 

 

 

そこで

 

とっても簡単に省略して

これまでにやってきたことを書いてみる

 

 

 

 

まず

 

ヒプノセラピーというセラピーを受けた

 

そこで私は

 

癒されることがとても大切なことを学べた

 

 



当時は

 

当時の状況から抜け出したくて必死で

そんなことには気づけなかったけれど

 

今はよくわかる

 

 

 

一度壊れた人間が

再生していくためには

たくさんの癒しが必要なのだ

 

 

 

癒しがスタート地点になるのだ

 

 

 

 

産まれたばかりの私たちは傷のない状態

 

 

 

また立ち上がるには

そんな状態まで戻す必要がある

 

 

 

そうでなければ

歩き出すことはできない

 

 

 

立ち上がれず

いつまでも寝たきりになってしまう

 

 

 

実際ほんとうに私は

ほとんどの時間を寝て過ごした

 

 

 

 

赤ちゃんは

基本的には親に愛されて

 

立ち上がるようになり

歩くようになり

 

外の世界へと進んでいく

 

 

 

 

ただ生きているだけでも傷がつくのに

 

生い立ちや障がいへの無理解によって

恋愛をこじらせたことによって

 

私は

 

自分だけでは

修復できないほどボロボロになっていた

 

 

 

だから

 

セラピーに通って

徐々に傷を癒やし

 

なんとか立ち上がれるまでになった

 

 

 

 

そんなタイミングで

少しずつヨガをやるようになった

 

 

 

 

そのあとにやったことは

 

物を捨てること

 

 

 


物だけでなく

自分のなかにあった

不要な感情を手放すこと

 

 

 

 

物は

目に見えるものなのでわかりやすい

 

 


過去の人との写真や

卒業アルバム

 

心の穴を埋めるために買った本など

 

とにかく今に必要ないものは捨てた

 

 

 

 

メルカリで売っていたら

結構な金額になったと思うし

 

物を再利用してもらえることは

いいことでもあるが

 

当時の私にそんな余力はなかった

 

 

 

 

それに

 

これは強迫性障害の症状でもあるが

 

自分が使っていたものには

 

何かよくないものが

くっついている気がしていた

 

 

 

 

自分の個人情報が

どこかにくっついている気がして


それが人に伝わるのが怖かった

 

 

 

私は人を傷つけた過去がある

 

 

 

もしかしたら

恨まれているかもしれないと思って怖かった

 

 

 

だから

 

自分を隠すように生きていた

 

 

 

こうして書いてみると

 

改めて

 

その感覚は病気だよなと思う

 

 

 

そんな目に見えない

自分でも得体の知れない

 

恐怖とともに

ずっと生きていたのだ

 

 

 

そりゃあ疲れるし

元気も出ないわけである

 

 

 

 

目には見えない

不要な感情を手放すためには

イメージワークをおこなった

 

 

当時は

「これ効果あるのかな?」

と思っていたが

 

今となっては

 

そのイメージワークを

おこなっていた効果は大きかったとわかる

 

 

 

 

ひと通り

今に必要ないと思うものは捨て終わり

部屋に空間ができた

 

 

 


相当な量の物を捨てたので

結構大変だった

 

 

 

物を捨てるには

捨て方がそれぞれあり

 

捨てるためにお金がかかる物もあるので

わりとエネルギーを使う

 

 

 

全身全霊をかけて捨てまくった

と言っても過言ではない

 

 

 

 

空間ができて

 

ヨガマットを

敷きっぱなしにできるようになった

 

 

 

 

そこからさらに

ヨガがやりやすくなり

毎日寝る前にヨガをやるようになった

 

 

 

 

ヨガをおこない便秘が解消した


職業訓練校に通い

無遅刻無欠席を達成した


その後

 

就労移行支援事業所に通い

 

今の彼と出会った

 

 

 

 

 

当時の私はスマホまで手放していた

 

 

 

 

ありとあらゆる刺激から

自分を守るために

極限までシンプルにした

 

 

 

すると私は

さらにエネルギーを取り戻していった

 

 

 

 

だけどやっぱり

スマホがないとできないことがたくさんある

 

当時はPCも持っていなかった

 

 

 

 

彼が

 

まずはPCを買った方がいい

と勧めてくれたので

 

付き合う前に一緒に

秋葉原までPCを買いに行ってくれた

 

 

 

そのおかげで

 

今こうしてブログを書けているし

 

Zoomを使ったり

毎日気分表をつけたり

 

チラシを作ったり

画像制作をしたりしている

 

 

 

PCを買って

ほんとうによかった

 

 

 

 

その後

 

いろいろあり

ガラケーからスマホに戻した

 

 

 

 

そのあと実は

 

彼と一度別れた

 

 

 


私も未熟だったけれど

 

当時25歳の彼も

とても未熟だった

 

 

 

そんな状態で

付き合っていくのは到底無理だった

 

 

 

 

その後

 

私は別の人と付き合っていたのだけれど

 

縁とは不思議なもので

彼とまた付き合うことになった

 

 

 

理由があって一度別れたわけだし

 

そこから彼とも

いろいろなことがあったが

 

お互いに変化してきて

今はだいぶ落ち着いた関係を

築くことができるようになった

 

 

 

お互いに経験を重ね

話し合い

コミュニケーションを重ね

工夫をし

 

ふたりとも

いい感じに歳を重ねてきた

 

 

 

 

もちろん

 

これから先のことは誰にもわからないが

 

私は今の彼と結婚がしたいし

彼との子どもが欲しい

 

 

 

 

少し前までは

彼との子どもじゃなくても

 

里親になって

彼と子どもと過ごせたら

それもいいなと思っていたけれど

 

彼との関係の深まりによって

気持ちの変化があった

(そのことはまた別の機会に書いてみたい)

 

 

 

 

ちなみに

 

私は一度結婚を経験しているが

 

私のなかでは一瞬の出来事で

戸籍上バツがついてしまった

くらいの感覚だし

 

結婚していたという感覚はない

 

 

 

 

離婚した直後は

それはそれは苦しくてしょうがなかったが

 

その人と別れたからというより

「離婚」という経験自体がしんどかったので

 

正直その相手に対しての想いはなかった

 

 

 

 

離婚から

たぶん2年くらい経ってのことだったか

 

その相手は

新しい家庭を築いて

幸せそうに暮らしていると知り

 

よかったなぁと心から思った

 

 

 

 

離婚よりも

 

その後の恋愛の方が

私のなかでは大きかった

 

 

 


こじれにこじらせた恋愛であり

 

ある意味

 

大恋愛であった

 

 

 

 

大恋愛とは

 

どんな恋愛のことをいうのか

よくわからないが

 

人生に影響を与えた度合いでいうと

大きな影響があったので

大恋愛としておく

 

 

 

 

その大恋愛では

 

たくさん傷つき

 

また

 

人を傷つけ苦しめた

 

 

 

恋愛に限らず

 

これまでの人生で

人を傷つけてしまったことを

私はよく覚えている

 

 

 

 

よく

 

「いじめられた方は覚えていても、いじめた方は忘れている」

 

というけれど

 

私は傷つけられたことよりも

自分が傷つけてしまったことを覚えている

 

 

 

 

だからずっと

自分を責めて生きてきたし

 

そんな自分が表舞台に立ったり

太陽の下を歩いてはいけないと思っていた

 

 

 

私は「お天道さまの下を胸を張って歩くことはできない」と

 

 

 

 

過去の私を知らない人が

 

過去の私を知ったら

どう思うのだろうと怖かった

 

 

 

きっと嫌われてしまう

 

 

 

だから絶対

身バレしたくないし

 

顔も出したくないし

とにかく怖くて怖くて仕方なかった

 

 

 

 

でも

 

ヨガインストラクターになって

人前でレッスンするようになり

自然と顔出しができるようになった

 

 

 

 

そして

 

一度割れた自分のカケラを拾うように

自分の過去も書いていこうと思った

 

 

 

割れたカケラを拾っても

もとの状態には戻らない

 

 

 

でも

 

割れたカケラを拾って

また合わせてみると

割れる前よりも輝いたものになる

 

 

 

そんな言葉を

最近知って

 

その言葉が私のなかに響いた

 

 

 

 

父との関係もそうだ

 

幼少期

 

父の顔色をうかがって

過ごさなければいけなかったことが

 

どうしても許せなかった

 

受け入れるしかないんだと思ったりもした

 

 



でも

 

受け入れようとすることに違和感があった

 

だからといって

許さなくていいというのも違う気がしていた

 

 

 

 

そんなとき

 

カケラを拾い集めるお話を聞いて

父とのことも当てはまると思った

 

 

 

父との過去も

 

拾い集めて

合わせてみたら

 

私は以前の私より

スッキリする気がするのだ

 

 

 

 

ちなみにこの

カケラを拾い集める話は

マザーグースの童謡に出てくる

 

卵のカタチをした

ハンプティダンプティのお話だそう

 

 

 

 

ハンプティダンプティの存在は

以前から知っていたが

 

このカケラの話は初めて聞いた

 

 

 

 

他にも

 

私が好きなハンプティダンプティのお話がある

 

 

 

「わたしがことばを使うときは、ことばはわたしの選んだ通りの意味になるのであるーーそれ以上でもそれ以下でもない」

 

このハンプティダンプティの言葉が

私は大好きなのだ

 

 



それは

 

私が文章を書くうえで

詩を書くうえで

 

心に留めている言葉

 

 

 

 

言葉というのは

読む人によって捉え方が変わってしまうが

 

私は私のなかで

 

この言葉は

こういう意味で使っているのだ

 

という想いを持って書いている

 

 

 

 

ハンプティダンプティの言う通り

 (いや、厳密にはハンプティダンプティの選んだ通りの意味として捉えられているのかは、知ることができないが) 

 

私の言葉は

私が込めた意味以上でも以下でもない

 

 

 

 

だいぶ

 

いろいろな話をしてしまったが

 

それだけ

 

人は一つのことで変わるわけはないのだ

 

 

 

 

人はシンプルなことを好む


複雑なものは疲れるからである

 

 

 

でも実際は

複雑な要因や方法があるなかで

 

一瞬一瞬シンプルに

一つひとつ取り組んでいく過程によって

 

変化が目に見えるカタチとなって現れるのだ

 

 

 

 

そう

 

割れたガラスを

一欠片ひとかけらと拾い集めて

割れる前よりも美しい物を作るように..

 

 

 

 

私にとって

その一つが恋愛だった

 

 

 

だから

 

これまでの恋愛に

心から感謝したい

 

 

 

そして

 

今そばにいてくれる彼に

誰よりも誰よりも感謝したい

 

 

 

 

彼のおかげで

今こうしてブログを書き

素敵な人たちと交流できるようになった

 

 

 

彼は

 

今の私を語るうえで

欠かせない存在なのだ

 

 

 

 

そして

 

これからもそうであってほしい


そのための努力は

これからもずっと必要だ

 

 

 

 

楽ではない
簡単なことではない


でも私は

その努力をしていきたいのである

 

 

 

 

お金で買えないもの


それがここには

たしかにあるから

 

 

 

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