ヨガインストラクター
養成コースを卒業したことや
福祉施設でヨガ企画を
やらせていただいたことなど
書きたいことは
ほんとうにたくさんあるのですが
また別の記事で
改めて書きたいと思います。
*
今日は
人間の価値について書きたいと思います。
結論からいうと
人の価値は
みんな一緒ということです。
優劣もない。
仕事ができる人だろうが
学歴がすごい人だろうが
貧乏だろうが
お金持ちだろうが
結婚してようが
してなかろうが
子どもを産んでようが
産んでなかろうが
美人だろうが
不細工だろうが
どんな人の命も同じで
優劣などないということです。
*
死が平等であるならば
その対極にある
生も平等なのではないか
と
ここのところ
心の奥で考えていて
今日の出来事によって
自分なりにしっくりとくる
自分なりの考えを見つけました。
*
ここからは
今日の出来事から
具体的に書いていきたいと思います。
あくまでも
私が感じたことであること
私自身の気づきであり
私なりの哲学(正解のないことへの考え)
であることをご了承ください。
そして
死という言葉が
多く出てきますので
怖いなと感じたりする方は
読まずに自衛してくださるよう
お願いいたします。
興味のある方には
娯楽としてでも
何かを考えるきっかけにでも
ご自由に読んでいただければと思います。
*
バイトへ行くために
歩いていたときのこと。
歩道に
ぺったんこに潰れた
ネズミの死骸がありました。
一瞬
私は「うわっ」と
ビックリしてしまいました。
見たくないものを見てしまった…と思いました。
でも
そのあとすぐに思ったのです。
このネズミが死んだことと
愛犬の太郎ちゃんが死んだこと
そしていつか私も死ぬことに
なんの違いがあるのだろうか。と。
ネズミも
太郎も
生まれてきたものは
いつか死を迎えるという
同じ結末を迎えたに過ぎません。
*
“この世に絶対ということはない。
けれど
ただ一つだけ
絶対と言えることがある。
それは生まれてきたものは
いつか必ず死ぬということだ”
という言葉が
10代の頃から
私のなかにずっとありました。
だから
私はよく
その言葉を思い出しては
死ぬのが怖いなと思ったり
いつか絶対に死んでしまうのなら
後悔のないようにやりたいことをやろう
と思って生きてきました。
いろいろなことを
必死にやってきました。
必死という言葉は
必ず死ぬと書きます。
必ず死ぬことを知っているからこそ
私ができることに全力を注いできました。
*
どうしても
人間社会のなかにいると
他人と比べてしまい
羨ましいと思ったり
自分の方が劣っている
と思ってしまうことがあります。
障がいがあると
なおさら健常者と比べてしまいます。
少なくとも
私はそう感じてしまうことがあるのです。
でも
ほんとうにそうでしょうか?
この世で絶対の死。
みんなに平等にある死。
それならば
生もまた平等なのではないか。
そう考えていたところ
潰れたネズミを見て
私は
このネズミも生きてきたんだな
今こうして死んでしまっているけれど
死んでいるということは
この世に生まれて生きてきたんだな
と思ったのです。
*
太郎ちゃんも
生まれて生きて
そして死にました。
私もいつかは死ぬのでしょう。
正直死ぬのは怖いです。
でも逃れることはできません。
キラキラして見える芸能人だって
ガッキーだって
いつかは死んでしまうのです。
*
どんな人生を生きようと
辿り着くところは「死」のみなのです。
そう考えると
どんな生き方だろうが
社会の役に立っていようが
立っていなかろうが
誰の命にも
どんな生物の命にも
優劣はなく
ただそこに
生があるだけなのです。
*
THE BLUE HEARTS の
「リンダ リンダ」という有名な曲に
“ドブネズミみたいに美しくなりたい
写真には写らない美しさがあるから”
という歌詞があります。
私は
その歌詞の意味を
どう捉えたらよいのかわかりませんでした。
どうしてこんな歌詞ができたのか。
甲本ヒロトさんは何を思いこの歌詞を書いたのか。
甲本ヒロトさんの思いを
知ることはできませんが
この強烈で斬新な歌詞に
私は自分なりの答えを得たかった。
今回
ネズミの死骸を見て
その答えを得られた気がしています。
それは太郎ちゃんの死や
ヨガの学びを深めていることなど
いろいろなことが重なった結果だと思います。
私自身が今日まで生きてきたから
必死に生きてきたから導き出された
私なりの答えです。
*
潰れて死んでいたネズミ。
そのネズミも
死ぬまでは生きてきたのです。
一見汚いように思えるネズミ。
たしかに
衛生面で考えたら
綺麗ではないです。
でも
生まれて生きてきたこと。
死ぬまで必死に生きてきたこと。
それは
とても美しく
決して
写真に写るものではありません。
目で見てわかることではありません。
*
私たちも
同じなのではないでしょうか?
生まれて生きて
いつかは死を迎える。
必死に生きている人には
写真には写らない美しさがあるのだと
私は思います。
目には見えない美しさがあるのです。
*
目に見えるものだけを捉えていたら
そのことに気づくことはできません。
同じものを見ても
捉え方ですべては変わる。
心の目を開いていくこと。
そうすることで
人生のなかで見えてくるものが
より美しいものになってくるのではないでしょうか。
*
そうは言っても
社会のなかで
人と比べてしまったり
自分のことを劣っていると
感じてしまうこともあるかもしれません。
だからこそ
自分と向き合う時間
ヨガでいえば瞑想をする時間
そのような時間の積み重ねによって
自分を覆っている皮が
一枚一枚と剥けていき
表面だけでない
本質を見る心の目が
開いてくるのだと思います。
*
少し前の私は
そのようなことに気づいていませんでした。
ほんとうに毎日が
学びの連続
気づきの連続で
過去の記事を書いている私とは
全然違うなと感じています。
だから
過去の記事を書いていた私は
今の私より
表面しか見えていなかったり
捉え方がネガティブだったりすると思います。
きっと
今日の私のことも
「まだまだ未熟だったな」
と、未来の私は思うかもしれません。
ですが
ひとまず
今日生きている私。
その私はとても美しい。
そして
この記事を読んでくださっている
今を必死に生きているあなたも
美しい。
そう心から思っています。