74歳の彼は、昨年、病気が見つかり、それでもご家族の為に「生きる」という強い意志を示して懸命にがんばったのだと通夜の場で伺った。
そんなことを知ることもなく、ただ、今を必死に生きている私がいる。いや、必死になっているいるよな気になっているのかも知れない。
彼には、いろんなことを教えてもらったし、協力もしてもらったし、何よりも茶目っ気たっぷりの笑顔で苦しいかったあの時の私の心をあたためてもらった。
ありがたかった。
私は、そのことに報いることも出来ず、成果を残せずに負けてしまい、彼だけでなく多くの方々に迷惑をかけ、失望もさせてしまった。申し訳なかった。
当日は彼に心からの感謝とお詫びをした。
どうか、やすらかにお休みください。ありがとうございました。
そして、ご迷惑をおかけしました。
合掌。
彼にお礼とお詫びをした日から、心がざわざわしている。
昨年末に月ごとの振り返りブログを公開し、今年に入ってもアウトプットしていきたいと思っていたのだけれど、なかなか公開できずにいる。
今年に入ってから、どこかで頭と心、体が嚙み合っていない感覚があって、それは今も取れない。
まだ、しっかりと振り返ることが出来ない出来事。
そこから、何とか生き延びて、今がある。
「いま」をがんばることで、なんとか生きている。
その自分を肯定的に見ることも出来るようになった。少し、心も軽くなりつつある。
いや、そうなろうとしていた。
「軽くなったつもり」になっていた。
心のどこかでは、「これでいいのだろうか」と思ってはいるのだが、振り返りたくないものだから、そんな思いに気付かないようにしていただけなのかも知れない。
こんな思いが頭の中をぐるぐるとめぐる。
年明けから、気持ちは下がっている。上がる瞬間もあるが、またすぐに下がってしまう。
最近、本当によく分からない。
私は、何のためにここにいるのか。
何をしているのか。
本当に必死に生きているのか。
どこかで甘えているのではないか。
まあまあ、そこそこの人生ではないのか。
そもそも生きていることが許されるのか。
死にたいとは思わないが、どうにかして生きていたいとも思わない。
お世話になった彼の死を目の当たりにした今、私の生きている・生かされている意味を自ら言葉にしないといけないような気持になっている。
最近、また乱れ始めた心に問いかけている。