朝、いつものように

上の子を学校に送るために


「ドーナツ坂🍩」と呼んでる坂道を

一緒に歩いていた時のこと。




「どこの小学校にいくの?」


首に素敵な花柄のスカーフを巻いている、

60代くらいのおば様に話しかけられた。


散歩中のようだった。



母親と一緒で、

しかも他の児童と反対方向に歩いているのを

不思議に思ったようだったキョロキョロ




ちょっと迷ってから、


この子のための特別な支援を受けられるクラスが学区内の小学校にはないから、

学区外の小学校まで一緒に歩いて行っていることを説明した。





するとそのおば様は、何も言わずに

上の子と手をつないで歩き始めた。



「途中まで一緒に歩いて行きましょう」



ヘルプカードと

子どもの様子から、

何となく察してくれたような雰囲気があった。



上の子は、

奇声まではいかないけれど、

独り言などがかなりあり、


大抵の人は

障害を察すると「見て見ぬ振り」をすることが普通なので、

わたしは少し不思議に思っていた。




いつものように

上の子がダンゴムシ取りを始めると、

おば様の携帯が鳴った。



旦那様かな、と思いながら

少し先を歩いていた。




通話が終わると、ふとおば様は話し始めた



「うちの息子、統合失調症なの。

人と会うのがダメで。


いつも電話は繋がるようにしておかないといけない。


最初のうちは気づかなかった。

気づいてあげられてからも、色々あった。


最近、ようやく一緒に病院に行けるようになったの」



本当はこういう時、

いつも

何と言えば良いのかわからない。



「息子さん、

お母さんと一緒なら心強いんだと思います」



上の子がダンゴムシをおば様にくっつけた。




「この子は大丈夫よ。


とても純粋で素直だし、


きっと自分の得意なことを見つけることができるはず


大丈夫、大丈夫」




気づけばお互い涙を流していた。



上の子は

ダンゴムシを草むらに返してあげていた。




お互い握手して、

上の子はハグしてもらって、


お別れした。




相手の本当の苦労なんて

わかるはずがない。


本当はもっと、

想像を絶する

苦労があったに違いない。



自分のことを

わかってもらおうとしても、

全て分かり合えるなんてありえないこと。



でも、

話さなくても

共有できる

言葉にならない気持ちがあった。










その前の晩、


調べたいことがあって

久しぶりに本棚の本を整理してた。





ごちゃごちゃだー

断捨離・整理整頓せねば^^;





最初は、


自分の抱えてる苦しさを

自分で理解するために、


世の中にどんな種類の

悩み苦しみ、

残酷なことがあるのか知ろうとしたんだよね。




他人の苦しみが理解できれば、

自分の苦しみも理解できると思ってた。



もちろん

人間に興味があったし、


そのくせ

コミュ障なのを何とかしたくてw


臨床心理学を学んだんだけど。



心の病のことも、

人間のことも


全てを理解できるなんて

当然だけどありえなかった。



臨床の現場では、自分の頭では

信じられないような出来事も

色々あったー




でも、

「わからない」からこそ、

相手を「わかろうとする気持ち」になれるし、




この日みたいに

思いがけず



カウンセリングのような場面でなくても

言葉がなくても



自然とお互いの記憶を見せ合って

何かが溶けていったような気持ちになる

出来事もある。




不思議だなぁと思う照れ