井上靖さんの長編小説「 孔子 」を漸く読了 。
孔子 、論語 、その他 、永年もやもやしてい
た事柄について 、自分なりに得心のいく答え
が得られたのは 、大収穫 。
備忘のため 、頭に残った孔子の詞を 、井上靖
さんの筆力をお借りして 、以下に書き写す 。
引用はじめ 。
「 ―― ” 仁 ” という字は 、人偏(にんべん)に
” ニ ”を配している 。親子であれ 、主従で
あれ 、旅であった未知の間柄(あいだがら)で
あれ 、兎(と)に角(かく) 、人間が二人 、顔
を合せさえすれば 、その二人の間には 、二人
がお互いに守らねばならぬ規約とでもいったも
のが生れてくる 。それが ” 仁 ” というもの 、
他の言葉で言うと ” 思いやり ” 、相手の立場
に立って 、ものを考えてやるということ 。
子はもう一つ 、 ” 信 ” という字についても 、
お話をなさいました 。
―― 人間は嘘(うそ)を言ってはいけない 。
口から出すことは 、なべて本当のこと 、真
実でなければならぬ 。これはこの現世で生き
てゆく上での 、人間同士の約束 、暗々裡(り)
の契約である 。人間がお互いに相手の言うこ
とを信ずることができて 、初めて社会の秩序
というものは保たれてゆくのである 。
―― このように 、人間が口から出す言葉と
いうものは 、 ” 信ずるもの ” であり 、” 信
じられるもの ” でなければならない 。それ故
(ゆえ)に ” 人 ” という字と 、 ” 言 ” という
字が組み合せられて 、 ” 信 ” という字はでき
ているのである 。 」
「 子貢問うて曰(いわ)く 、一言にして以(もつ)て
終身 、これを行うべきものありや 。子曰く 、
それ恕(じょ)か 。己の欲せざる所を人に施すこ
と勿(な)かれ 。
―― 子貢がお訊ねした 。ほんの一言で 、生涯 、
これを行う価値のあるものがありましょうか 。
子がお答えになった 。それは ”恕 ” 、 ――
他人(ひと)の身になってやることだろうかね 。
自分の欲しないことを 、他人にやらせてはいけ
ないということである 。 」
「 ―― 子曰く 、仁遠からんや 、我れ 仁を欲すれ
ば 、斯(ここ)に 仁至る 。
これも子のお詞で 、 ” 仁 ” は遠いところにある
理想ではない 。自分が ” 仁 ” を行なおうと思え
ば 、 ” 仁 ” はすぐそこにある 。すぐそこ 、近い
ところにある 。
こういう意味であろうかと思います 。この子のお
詞などは 、頭に入った時から 、今日まで 、いつ
も落ち着いた坐り方で 、頭のどこかに坐っており
ます 。私は時に 、この子のお詞を口に出して唱え
ます 。心衰えた日は 、そうすることに依(よ)っ
て 、弱い自分を励ますことができます 。確かに
村人に対しても 、旅人に対しても 、自分が優し
い気持を持ち 、彼らの立場に立って考えてやろう
と思えば 、いつでも 、それはできます 。
確かに ” 仁 ” は 、いつでも 、自分の手の届く
ところにあります 。 ” 仁遠からんや ” でありま
す 。この子のお詞も 、いつ 、誰から教わったの
か 、全く記憶しておりません 。が 、それはそれ
として 、いかにも子のお詞らしい 、ぴいんと張っ
たものが 、短いお詞を 、鋭く貫いているかと思い
ます 。
―― 仁遠からんや 、我れ 仁を欲すれば 、斯(こ
こ)に 仁至る 。
子以外に 、こうした烈しく 、美しいお詞を 、口
から出せる人はないであろうと思います 。 」
「 ―― 子曰く 、人にして仁ならずんば 、礼を如何
(いかん)せん 。人にして仁ならずんば 、楽(がく)
を如何せん 。
これも 、 ” 子曰く ” があろうと 、あるまいと 、
紛れもない子のお詞であろうかと思います 。
―― 人間 、 ” 仁 ” の心を持たないとあっては 、
” 礼 ” など学んでも 、どうなるものでもない 。
無駄(むだ)なことである 。 ” 楽 ” の場合も 、同
じこと 。 ” 仁 ” の心なしに 、 ” 楽 ” など 学んで
も 、意味をなさない 。なんの足しにもならない 。
こういう意味であろうかと思います 。気品もあり 、
格調も高く 、しかも凛々と 、烈しく鳴っているも
のがあります 。子のお詞でない筈はありません 。 」
「 ・・・ 子がお説きになる ” 仁 ” なるものには 、
大きな ” 仁 ” と 、小さな ” 仁 ” と 、二つの
” 仁 ” があったのではないかと思われます 。
その二つの ” 仁 ” の区別は 、私などにはよく判
りませんが 、子は相手によって 、そのいずれかの
” 仁 ” をお選びになり 、その説き方を変えておら
れたのではないか 、そういう気が致します 。
私などのように 、与えられた一生を 、社会の表面
に立つことなく 、その片隅(かたすみ)で 、ひそや
かに生きて行く人間には 、子は ” 仁は思いやり ” 、
相手の立場に立って 、ものを考えてやることである
と 、そのようにお説きになっておられます 。
私たち 、名もなき庶民の一生の過し方としては 、
子が仰言(おっしゃ)るように 、お互いに思いやりを
持って 、相手のことを考えながら生きることが 、
最高の生き方であるに違いありません 。お互いに 、
そうして生きることに依って 、一生貧しく 、さして
派手な 、ぱっとしたこともないでしょうが 、併し 、
この乱世に於ても 、まあ 、この世に生れてきてよか
った! そんな思いを持つことができるのではないか
と思います 。
こうした私たちとは異って 、世を 、時代を動かす
ことのできる立場にある人たちに対しては 、子は同
じ ” 仁 ” にしても 、世の平和を支え得る 、大きい
力と 、大きい影響力を持つものとして 、全く異った
解釈と 、説き方をなさっておられたのではないかと
思います 。 」
「 ―― 子曰く 、志士 、仁人は 、生を求めて 、以
て仁を害することなし 。身を殺して 、以て仁を成
すこと有り 。
こういう子のお詞を聞いたことがあります 。子の
墓側に於ての心喪三年の一時期 、子貢の館に於て 、
紛れもない 、このお詞について 、論議を交す何夜
かがあり 、それを傍聴したことを記憶しておりま
す 。
当時 、私は子がお亡(な)くなりになった悲しみに
包まれていて 、子が遺(のこ)されたお詞の整理など
ということとは無縁に生きておりましたが 、どうい
うものか 、この子のお詞なるものだけは 、頭のどこ
かに入り 、そのまま遺っていて 、この数年来 、時
折 、思い出されて参ります 。
苟(いや)しくも志士(仁を志す人)、仁人(仁を己
が生活信条にしている人)と言われるような人たち
は 、命惜しさに 、 ” 仁 ” を犠牲にするようなこと
はない 。それどころか 、 ” 仁 ” を完成させるため
には 、死さえ厭(いと)いはしない 。必要とあらば 、
いつでも生命を棄てるだろう 。
こういう意味であろうと思います 。私などの 、相
手の立場に立って 、ものを考えてやる ” 思いやりの
仁 ” とは 、大きく異っており 、そのために生きる
とか 、死ぬとか 、生 、死の問題までが絡(から)ま
って来ております 。
こうなると 、もう 、私の考えているような ” 仁 ”
とは 、 ” 仁 ” なるもの本体が 、大きく異ってきて
おります 。志士 、仁人と謂われる人たちは 、生き
んがために 、仁の道を犠牲に供するようなこともな
いし 、それどころか 、仁を行なうために必要とあ
れば 、かりそめにも 、死を厭うようなことはない 。
―― たいへん 、ものものしく 、厳しい ” 仁 ” で
あって 、私などの想像できる世界ではなくなってお
ります 。
おそらく ” 仁 ” という同じ言葉で言い現わされて
いるものではありましょうが 、それが内側に包み込
んでいる世界は 、大きく異ったものになっているの
であろうかと思われます 。
一つは 、われわれ庶民 、それぞれが 、お互いに
救(たす)け合って生きて行く 、その生き方を説いた
ものであり 、もう一つは 、この戦乱の時代を平和
なものにし 、この時代を生きるたくさんの人々を 、
その不幸から救うべく 、その原動力となる ” 仁 ”
の力を 、時代を動かすことのできる立場にある人た
ちに説いたものであろうかと思います 。時代を動か
す立場にあると言っても 、上は為政者から 、下は
小さい村の官吏に到るまで 、いろいろな階層に分れ
ておりますが 、子はそうした人たちには 、それぞ
れに応じて 、なべて ” 大きい仁 ” を説いておられ
たかと思います 。
併し 、世の中を支える ” 大きい仁 ” であれ 、相
手の立場に立って 、ものを考えてやる 、私たちの
小さな思いやりの ” 仁 ” であれ 、その核心になっ
ているものは 、おそらく同じ人間への愛というか 、
人間として誰もが持っていなければならぬ ” まごこ
ろ ” というか 、そういうものであろうかと思われ
ます 。
そういう意味では 、子はいつでも 、すべての人間
が生きて行く上に 、人間として持つべき ” まごこ
ろ ” 、―― ” 仁 ” を説いておられたということ
になりましょう 。 」
「 ―― ” 樊遅(はんち) 知を問う 。子曰(いわ)く 、
民の義を務め 、鬼神は敬して之(こ)れを遠ざく 。
知と謂うべし 。仁を問う 。曰く 、仁者は難き
を先きにして獲(う)るを後にす 。仁と謂うべ
し 。 ”
―― 樊遅が 、知者といわれる人は 、民を治め
るのに 、どういう方法を採るだろうと訊(き)い
た 。それに答えて 、子は仰言(おっしゃ)った 。
人民が正義とするところを尊重し 、鬼神とか 、
なべて信仰問題は 、敬して 、遠ざける 。深入
りしない 。これが知者の天下を治める態度であ
る 。次に仁者の場合は 、どうか 、と樊遅が訊
くと 、子は仰言った 。仁者は最も困難な問題
に 、真先きに取り組んで行くが 、それに対す
る報酬というか 、そこから生れる利益というも
のは考えない 。 」
「 ” 樊遅(はんち) 仁を問う 。子曰く 、人を愛
す 。知を問う 。子曰く 、人を知る 。 ” 」
「 ―― ” 樊遅(はんち) 仁を問う 。子曰く 、居
処は恭に 、事を執りて敬に 、人に与(まじ)わ
りて忠にせよ 。夷狄(いてき)の之(ゆ)くと雖(い
え)ども 、棄つべからず 。”
―― 樊遅は仁を訊いた 。子は仰言った 。家に
居る時には行儀をよくし 、仕事に対しては慎重 、
人との交際はまごころで 。こうしたことは夷狄
の国に行っても棄ててはいけない 。 」
「 子曰く 、知者は水を楽しみ 、仁者は山を楽し
む 。知者は動き 、仁者は静かなり 。知者は楽
しみ 、仁者は壽(いのち)ながし 。 」
「 ―― " 民の義を務め 、鬼神は敬して之(こ)れ
を遠ざく 。知と謂(い)うべし 。"
これは古い門弟の樊遅(はんち)が 、 ” 知の政
治 ” を問うたのに対しの 、子のお答えであり
ます 。 ―― 民が正しいとするところを尊重し 、
鬼神相手の信仰問題は敬意を表するも 、まあ 、
慎重を期して 、深入りしない方がいい 。これ
が ” 知の政治 ” というものである 。 」
「 未(いま)だ人に事(つか)うること能(あた)わず 、
焉(いずく)んぞよく鬼(き)に事(つか)えん 。
これは子路(しろ)が 鬼神( 死者の霊 ) に仕える 、
その仕え方を問うたのに対しての 、子のお返事
であります 。
―― 未だに生きている人間にも仕え得ないの
に 、どうして死者の霊に仕えることができよう 。 」
「 ―― ” 未だ生を知らず 。焉(いずく)んぞ死を
知らん 。 ”
これは前の問答に続いて 、子路が重ねて 、死
とはいかなるものであるか 、と訊いたのに対す
る 、子のお答えであります 。 ―― まだ生の
何たるかも判(わか)らないのに 、どうして死が
判ろう 。 」
引用おわり 。