狂歌亀丸道標お蔵入り9年
江戸時代後期に狂歌で活躍した酒井亀丸の道標が、浅井道に建立されたが、昭和12年(1937)に道路拡幅のため、市役所1階市長室前に移設された。昭和35年(1960)の庁舎増築の際、3階市長室南外庭に移り安住していた。
しかし、平成26年(2014)の現庁舎建設に伴い、市長室が6階で外庭が無いなどの理由から、博物館収蔵館の豊島資料館(一宮市本町通8)へお蔵入りして、お目見えできないようになって9年となろうとしている。
当時眠らせておくのはもったいないとの声があったので、適当な場所に建立されるのかと期待していたが、9年経った今日も収蔵庫に眠ったまま活用されていないのである。
現在、一宮市博物館で開催されている企画展「没後50年 郷土史家森徳一郎」」の森先生の著作(写真は長谷川公茂先生)「一宮 石の華」に「酒井亀丸道標」が登載されていることを申し添えたい。
当初建立されていたといわれる浅井道には、思いやり会館(一宮市桜1)があり、緑地もあるので、そこに復元されることを望むものである。
思いやり会館は3月に閉鎖されることが決まっているが、後の利用方法と一体にして復元設計をと願うものである。(岳紫のブログ3760)
中日新聞 2014-4-9
中日新聞 2014-4-20
一宮 石の華(1970) 酒井亀丸道標