長大な稲架掛け
昨日墓参の後、一宮市更屋敷・集落の東の田に寄ってみた。今年も長大な稲架掛けが二列できている。昭和年代までは晩秋に各地の田に稲架がずらりとあった。
一宮市更屋敷地内 2022-11-14
稲の乾燥と米の風味が増すということと、籾を獲った後の稲藁を畳業者などに買ってもらうことから多く行われていた。
しかし、手間がかかることや、コンバインの進化などによって、稲架を作り乾燥作業を行う農家は無くなって行ったのである。そのため、稲架掛けを見かけなくなったのである。
岳紫が小学生のころ、冬の寒い伊吹颪を避けて通学するために、田圃の中の道を選んで登下校していた。当時は田に霜柱があることが多かった(岳紫のブログ3650)
昭和51(1978))11月