一宮空襲から免れた壷 | 岳紫のブログ

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一宮空襲から免れた壷

 一宮市本町4出身・「写真アルバム一宮市の百年」監修・元愛知県史近代専門委員の森靖雄先生から、昭和20(1945)年7月の空襲で焼失する前の昭和7年(1932)の旧一宮市本町通6丁目・森先生の生家付近の珍しい写真をいただいていた。

 

 

 森先生は今春「戦時下の一宮くらしと空襲」を出版され、7月には地元大志連区地域づくり協議会がビデオ「写真でたどる一宮大空襲」制作の講師として戦中戦後の状況について話された。自宅から空襲の火災から逃げる地図を示して説明されている。このビデオはユーチューブで公開されている。(中日新聞尾張版に掲載)

 

 

 森先生の生家の隣に茶舗があって、昭和20年(1945)7月28日夜の空襲で全焼した。この茶舗で使われていた複数の茶壷が、空襲の被災を避けるため、疎開してあって難を逃れた。 一宮空襲の火災から免れた壷の一つは高さ66cmある。(岳紫のブログ2952)