馬見塚遺跡碑周辺の現況
「せんい団地渋ビル散歩」のあと、馬見塚遺跡碑周辺(一宮市馬見塚)がどうなっているのか、せんい団地から北に向かって歩いた。
縄文後期から弥生・古墳時代の複合遺跡で、昭和48年(1973)2月中旬から「馬見塚遺跡範囲確認調査」で事務方として1カ月余現地に通った。当時は一部の開発程度で、碑だけがぽつんと建っていた。遺跡は南北約300m(北は郷中集落、南はせんい団地)、東西約400m(東は新設された南北幹線、西は広く田や畑)の広大な土地である。。
平成25年(2013)11月12日に訪れてから7年、現在も全体で住宅開発がどんどん進められ、碑の西に小さくなった田があるだけである。その田が住宅地化したら、西の遠方からも見えなくなってしまい、碑の位置さえわからなくなるような時代は、残念ながら遠くないようである。(岳紫のブログ2645)
昭和38年(1963)ごろの馬見塚遺跡碑
西の道路から唯一の田から遺跡碑(中央)を見る。
北から遺跡碑方向
2013年11月12日
遺跡碑は北端