一宮市馬匹畜産組合継承碑 | 岳紫のブログ

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一宮市馬匹畜産組合継承碑

 一宮市花園通りを歩いていて、福寿院(大江2)の境内に、「一宮市馬匹畜産組合継承」と刻された碑が建てられているのを知った。

 「馬匹畜産組合」をネットで開いてみると、昭和9年~11年(1934~1936)ごろに「東京府馬匹畜産組合」があったということが判った。関連の「馬政局」を調べてみると、明治時代の日清(1894~1895)・日露(1904~1905)戦争で、国は日本の軍馬の貧弱なことを認識して、明治39年(1906)に馬匹の改良・繁殖を目的に馬政局を設置した。特に昭和14年総力戦体制で軍馬の増産がなされ、以降太平洋戦争時代まで続いていた。

  「一宮市馬匹畜産組合継承碑」もその一環としての記念碑であろう。軍馬が優先されていたのであるが、当時の輸送の主力は荷馬車であったから、荷車用の馬や農耕作業の農耕馬のためでもあったと思われる。

 この碑に関係がないかもしれないが、戦災市町村が地方競馬施行の権限を得て、一宮市は昭和23年(1948)7月と、昭和24年5月に主催者として地方競馬を開催している。愛知県競馬で愛知県に委任しての開催である。

 昭和23年は岡崎競馬場で売上高19,000,540円、昭和24年は名古屋競馬場で売上高は33,610,070円となっている。(岳紫のブログ2642)