森寿和子歌碑 | 岳紫のブログ

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森寿和子歌碑

金刀比羅社(一宮市起堤町)境内に詩人野口雨情詩碑をブログしたが、一宮歌壇の先覚者歌人森寿和子先生(1890~1973)の歌碑も建立されている。

 逢ひそめの 日かやなみたの わかれかや おこし渡頭に ゆらぐ絵日傘

 

 

 

「寿和さま」と親しく呼ばれ、晩年にお会いしたことがある。その際、短冊を3点いただいた。達筆で書かれているので読むのに困難である。

 

 

寿和子先生の歌碑が木曽川畔に建立されているのは、起の誰と関りがあるのだろうか。

寿和子先生の歌碑は、真清田神社拝殿右「貫之桜」横に、一宮市文化功労表彰を受賞された記念に、真清短歌会によって昭和43年(1968)に建立され、浅野公園に興民義塾学舎を詠まれた碑が昭和28年(1953)に建立されている。

 赤染も 阿仏尼も観て はやしめむ 貫之桜 植え継ぎゆかな

  となりして まなひやたてり 偉なる ひとのこころを うつし植ゑかむ

森寿和子先生は、 一宮市出身、京都府立第一高等女学校を卒業、長谷部親弘に師事、名古屋中央歌道会、東京「歌」「心の花」に参加。大正初年重松玄翁らとともに「東海歌壇」を起こし、全国から同人が参加する歌誌「うたかき(歌垣)」を昭和11年以降継承して幾多の困難に耐えて刊行、真清歌道会を主宰。昭和20年一宮歌話会と合同して「眞清短歌会」をつくり、「蒼原」の発行に意を尽くし、第3代真清短歌会会長に推される。柳香会主宰。昭和27年歌集「大江集」、昭和41年「竹梁集」を出版されている。

 

 なお、金刀比羅社境内に、名古屋考古学会長・名古屋市文化財調査委員吉田富夫先生(1912~1971)の句碑も建立されている。

 

 

大川の 渡しの跡や 五月晴  良須

 

(岳紫のブログ2617)