春季特別展「濃尾地震展」 | 岳紫のブログ

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春季特別展「濃尾地震展」

 

 一宮市尾西歴史民俗資料館(一宮市起)において、春季特別展「濃尾地震展」が5月27日まで開催されている。月曜日休み

 126年と6カ月前の明治24年(1891)10月28日に、この地方を襲った大震災であるが、いろいろな刊行物や冊子の惨状写真を見ての知識だけであった。

生まれ育った近くの、木曽川鉄橋手前の線路のレールがくねくねに曲がっている写真(北方町)、木曽川堤防に大きな亀裂が幾重にもある写真(北方町)や、岐阜街道大江川木橋が壊れている写真、真清田神社前本町通り両側の家屋が著しく損壊している写真などである。

特別展は、1・震災前夜の社会、2・地震発生と被害状況、3・救援活動と復旧、4・濃尾震災後の一宮市域の変容、5・濃尾地震を伝える、という内容で、写真・錦絵・古文書・図表などの史料で、大震災当時と前後の状況がどうであったかということを中心に展示されている。

余震回数は、その年の内に烈震(震度5以上)9回,強震(震度4)78回など2,047回発生したと記されている。2ケ月余の間に2,000回以上の余震があったと云うことであるが、長期にわたる余震で、当時の人たちの恐怖心は如何に大変であったかと云う事が察しられる。

元一宮市長伊藤一著「水と共に38年」に、「木曽川上流改修事務所の記録によると、大震災の余震は4日間に烈震4回、強震40回、弱震660回(震度3~2),微震1回、鳴動15回の多きを数えた。」と大震災直後に余震が多かったことが判る。

平成7年(1995)1月の神戸・淡路大震災の2カ月後に神戸へ行く用事があって、一部の被災地を見たときの状況を思い出した。

近年では東日本大震災・熊本大地震など震度7クラスの地震が相次ぎ、大きな被害を出している。昨日も長野県北部で震度5弱の地震があった。きょうは大雨である。

 

 

  

 

  

 

 

 

                                                                                 

「備えあれば憂いなし」という。濃尾震災展に合わせるかのように、新聞販売店から「しゃちほこ防災」冊子が届けられた。いろいろな災害対策が書かれてあるが、残念ながら何一つ対策が出来ていない。