一宮市2回目の大空襲 | 岳紫のブログ

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一宮市2回目の大空襲

 

 第二次世界大戦(太平洋戦争)で、一宮市が2回目の大空襲を受けたのは、72年前の昭和20年(1945)7月28日深夜から29日未明のことであった。(時間の記録はまちまちではっきりしない) B29の大編隊による焼夷弾爆撃で壊滅的な被害を被った。

 この空襲で、真清田神社・一宮警察署・一宮税務署・一宮商工会議所・尾張一宮駅・県立一宮中学校・県立一宮商業学校・一宮高等女学校・第一国民学校・第二国民学校・第五国民学校・川崎航空機工場・特殊軽合金工場・日本毛織今伊勢工場など主要な施設や民家のほとんどが焼失し、多くの犠牲者が出た。

 岳紫の知り得る市街地で焼失を免れたのは、中心部の一宮市役所と、一宮市本町通り8丁目以南であった。裁判所(現在一宮市豊島記念資料館の場所)の建物(戦後すぐ立て直され、一宮市に移管後は福祉施設として利用されていた)や地蔵寺とともに、戦前からの家並みが本町通り8丁目から北園通・松島町に残されていたが、現在は地蔵寺とともに、北園通りの1角にその面影があるだけである。

 

地蔵寺南門

 

地蔵寺西門

 

北園通