長谷川秀一公旧居跡は「北方字西渡」 | 岳紫のブログ

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長谷川秀一公旧居跡は「北方字西渡」

 

一宮市観光協会が刊行している「一宮市戦国武将マップー郷土の戦国武将ゆかりの地を訪ねる」および最新版の「一宮市観光ガイドマップ」に、「東郷侍従長谷川秀一公旧居跡」の「位置」が間違って掲載されている。

「長谷川秀一公旧居跡」は、下渡公民館(一宮市北方町北方字東渡)の西辺り(北方字西渡)である。北方中学校の東市道側(北方字宮浦)に「旧居跡」の碑が置かれているが、この碑は、最初、下渡公民館西に建立されていたが、地主側から移転を求められ、中学校敷地に仮設されているのである。その経過が書置きされていないので、現在の碑がある場所が、「旧居跡」として掲載され、誤ったまま拡散しているのである。

先日の岳紫のブログで、「葵公園由来説明板」の誤りについて記したが、「公」の説明板やガイドマップの誤謬はあってはならないことであるが、最近目に余る。

 

一宮市戦国武将マップ 

 

長谷川秀一公旧居跡が中学校校門脇碑のある場所と読める。下のマップに中学校のある場所を旧居跡としてある。

 

 

 

一宮市観光ガイドマップ 

 

 旧居跡は右の「狐塚」の文字の右上の辺りが正しい場所である。