木曽川畔の変貌20
北方町北東部木曽川堤防改修
昭和43年(1968)12月の中日新聞で調べ物をしていたら、建設省が、一宮市北方町地内JR鉄橋上流の木曽川堤防(1、070m)が、最も危険な場所とされているので、昭和43年度から昭和47年度の5ケ年計画で、内側7~10mの所に、幅7mの新堤防を造りたいので、地元の協力を得たいとの説明会があったという記事が目についた。
この説明会の記事には、民家40世帯、91棟の立ち退きが対象だと記されている。
1070mと云うと上流大日霎神社(大日地区)からJR鉄橋(西本郷地区東)までとなる。
この辺りは、国鉄木曽川本線が開通する頃までは、北方渡しがあり、大日港があって、木曽川の舟運で繁栄していた家並みであった。
木曽川の護岸・川岸の民家が写されている写真が掲載されてあり、立ち退き前の状況の一部を知る貴重なものである。
北方町地内の堤防改修工事は、これ以降急速に進み、平成8年には木曽川大橋(旧国道)南の新堤坊建設にまで進んでいた。
この地域、木曽川畔の大きな変貌の根源である。
2015-6-30 名岐バイパスを望む