終戦記念日に想う | 岳紫のブログ

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終戦記念日

 戦後70年、昭和20年(1945)8月15日はとても暑い日であった。夏休みの日課が木曽川大橋の下での水遊びであった。川へ行く際には、食糧難でおやつもない時代であったから、ナスを切った中に塩を付けて食べていた。

正午過ぎになって橋桁下の川岸で涼をとっていた大人たちが、なにやらひそひそ話をしていた。玉音放送があって、戦争が終わったということであった。これで怖かった空襲(警報)もなくなるのだと子供心に思ったことである。




大人たちの涼をしていた橋下




子どもの頃の水泳場所

 直接に空爆を受けてはいないが、連日の空襲警報、7月9日深夜から10日未明の岐阜大空襲、7月12日深夜から13日未明の1回目の一宮大空襲では、夜空まで真っ赤に焦がしていた。すぐ近くの木曽川町玉ノ井・外割田・門間にも焼夷弾爆撃があり、爆死者もあった。2回目の一宮大空襲があった7月28日深夜から29日未明も、空襲警報と共にB29の飛行音で林の中に逃げ、身を潜めていたこともあった。

岐阜大空襲のあと、岐阜市中心部にあった親の知人宅を、見舞いに付いて行ったときに見た一面焼け野原の岐阜市街地、その時焼け跡に残っていた遠くの蔵?が、突然出火したことなど、今も脳裡にある。

昭和30年代後半以降まで、一宮市と稲沢市の境界付近・名鉄本線沿いの田に、爆弾が落とされて出来た大きな穴が二つあって、丸い池になって残っていた。

過ちは繰り返すな、二度と戦争が無い政治をと改めて願う。




昭和30年資料より