高野長英寓宿之地碑 | 岳紫のブログ

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木曽川畔の変貌14

高野長英寓宿之地碑

 一宮市北方町北方字中大日二に蘭医小澤錦水(長次郎・17951865)邸があって、蘭学者高野長英が3回ほど訪れている。一宮市天然記念物に指定されていた「バクチノキ」は、高野長英御手植えと伝えられていた。

その堤防脇に、昭和15年(1940)5月に名古屋CA趣味社により裔孫高野長運氏揮毫の「高野長英寓宿之地碑」が建立された。この碑は昭和46年(1971)10月、建設省の堤防工事により、北方中学校校庭東正門北に移設された。バクチノキは北方小学校校庭南に移植されたが、のちに枯死し、根っこ部分が学校に保存されている。バクチノキは他に,中・小2本あって、中は碑の脇に移植したが枯死した.小は北方公民館南西に移植し、角に再移植されたが元気である。

 「高野長英寓宿之地碑」は、平成12年(2000)に地元北翔会の働きかけで、新堤防が完成後、元の場所に戻された。





 30年代の碑・バクチノキ・小澤邸の一部




 川べり側の小澤邸 30年代

  (以上2枚の画像は加藤勉さん提供)





2015-6-30 高野長英寓宿之碑



2015-6-30 小澤邸跡付近の木曽川





2015-6-30 ひこばえのバクチノキ(北方公民館)