木曽川畔の変貌12
宝江の渡し跡、木曽川木橋橋脚
岐阜街道宝江の渡し(一宮市北方町北方字川原屋敷)があった場所に、明治43年(1910)2月に、ヒノキ造り(一部鉄製)の木橋が完成し、昭和12年(1937)下流にアーチ橋木曽川大橋(国道・現在は県道)が出来るまで主要街道としての役目を果たしていた。
名鉄本線が岐阜と直通してなかった時代には、尾西線木曽川橋駅と西笠松駅をバスで連絡していたので、ゴトゴトと通過していた。
木橋が取り壊されたあとも橋脚(後年補強されたもの)だけは残っていた。木曽川の水が豊富なころは水没していたが、水位が低下して常時見えるようになった。その橋脚は平成23年(2011)に除去された。
木橋橋脚 S50(1975)-10-10
旧木橋
H27(2015)-4-23