真清田神社一の鳥居 | 岳紫のブログ

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真清田神社の「一の鳥居」が建てられていた場所について、「一宮郷土読本」(一宮市教育研究会編・1958)は、「本町通りの南はずれの地蔵寺の南に高くそびえ立っていましたが、明治7年に朽木のためとりこわされてしまいました。」とある。 

一方、「真清探桃集の巻4」に「前の一の鳥居(第一) 諏訪大社の辺に在り。」とあり、諏訪社については、「一の鳥居の東地になり。諏訪の社辺にまた富士社及び熊野社ありて」とある。公園通りの富士三社は富士社・諏訪社・稲荷社合祀されているので、一の鳥居がこの附近にあったことになる。

「史録いちのみや」(松本勝二著)には、「一の鳥居がこの塚の北とも南ともいわれるが、南の方が正しいように思える。」とある。富士三社の南、岐阜街道一里塚があった南である。

 旧岐阜街道にある殿町浴場北に「真清田神社一の鳥居跡」の石柱が、昭和57年10月一宮ライオンズクラブにより建立されている。富士三社境内にある「岐阜街道一里塚跡」碑の裏に、一里塚は南20mの位置にあったと記されている。岐阜街道一里塚と「一の鳥居」がどのように住み分けされていたのか。どうしてここに一の鳥居が建てられたのであろうか、教えて欲しいと思う。