一宮高等女学校之跡 | 岳紫のブログ

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愛知県立一宮商業高等学校(一宮市文京2-1)の校門北の緑地に、細い石柱の「一宮高等女学校之跡」の碑があるのはなぜかと疑問を持つ人がある。  

その由来は、一宮高等学校(北園通6)と一宮商業高等学校の二つの冊子の沿革が書かれてあるのを纏めると理由が判る。

1915年(大正4年)に神明津(桜1丁目)一宮町立高等女学校が開校する。

1922年(大正11年)に一宮高等女学校に改称される。

1936年(昭和11年)4月1日に宮西通り6丁目3番地に新築移転した。ここに「碑」が建てられているのである。

1948年(昭和23年)4月に愛知県立一宮中学校と一宮高等女学校が統合され、愛知県立一宮高等学校(北園通6)となって、宮西通(現在文京2-1)から北園通へ統合する。

1948年(昭和23年)9月 宮西通り6丁目3番地(文京2-1)に愛知県立一宮商業高等学校が移転し、現在に至る。