「水口岡山城」から東へすぐのところに「水口城」があります。
「水口城」、橋が改修のため通行止め
というわけでこちらの門(じつは大手門)から攻め込みます
本丸乾矢倉を二階造りとして再移築された「水口城資料館」
「加藤嘉明」公とかんぴょうが出迎えてくれます
水口城は3代将軍徳川家光が寛永11年(1634)京都上洛の際の宿館として築城されました。築城は幕府直営で行なわれ、作事奉行には、建築や作庭あるいは茶道などで著名な小堀遠州政一があたり、延べ十万人の大工を投入して工事が進められました。城は京都の二条城を小型にしたもので本丸と二の丸の二郭で構成されていました。築城当時の規模は復元模型でうかがい知ることができます。家光以後の将軍の上洛は途絶え、水口城は城番(5千石~1万石の旗本、大名)が置かれ、これが1年任期で約50年続きました(水口城資料館HPより)。
「水口城」から「水口岡山城(写真左手)」を望みます
資料館を見学した後「水口城」の内堀を舐めるように攻めます
内堀に沿って攻めると
隅櫓(乾櫓)跡があります
ぐるっと一周して
先ほどの隅櫓(乾櫓)跡からも「水口岡山城」を望みます
「水口城」を攻め終わって、次に駒を進めようと駐車場に戻ったら、観光の方とみられる方から「あなた、日野城にもいましたよね」って・・・。
( ´;゚Д゚):゙;`;:゙;ガハッ !!、ひとりるろうに剣心ごっこ、見られていた。
これは恥ずかし過ぎる(〃ノдノ)。
顔から火を噴きながら、逃げるようにこの日最後の目的地「油日(あぶらひ)神社」へ。
「油日神社」
聖徳太子の草創といわれている歴史ある神社で、「るろうに剣心」のロケ地になります。
この楼門の中で高杉晋作が率いる長州藩奇兵隊の入隊審査が行われていたのですよ
そして「人斬り抜刀斎」誕生の地?でもあります。
で、甲賀の里を攻めたのに最後まで忍者に出会わなかった。
甲賀の忍者との出会いは次の楽しみにとっておいて帰陣しました。