子どもの日が終わって梅雨に向かっているのに季節外れなブログを書いている。

 

 「お内裏様とお雛様」は某叱られる番組で、「お内裏様というのは、上の段に座る男雛と女雛両方のこと」「二人合わせてお雛様」と説明されていました。

 つまり間違っていると。

 大河ドラマなどの歴史物を見ている方は知っていると思いますが、昔は住んでいるところを名前替わりに使用していました。

 「天皇」→「内裏」はなくても、「内裏」→「天皇」はあったと思いますので、あながち間違いと一蹴するのはどうかと思いました(個人の見解です)。
 

今回攻めた城と寺社
(毎回お世話になっています、国土地理院ウェブサイトにあるGSIを使ってマッピング)

 

「鬼室神社(きしつじんじゃ)」

 

 境内はこの奥にあります。

 近江朝廷が大津に都を定めた頃、現在の韓国、時の百済(くだら)国から我国へ渡来をした多数の渡来人の中の優れた文化人であった鬼室集斯(きしつしゅうし)という高官の墓が、この神社の本殿裏の石祠に祀られているところからこの社名がつけられました(日野観光協会HPより)。

 

 今回は出陣が諸事情で遅れたため、先に昼餉のため「日野まちかど感応館」へ。

 

「日野まちかど感応館」、御城印はこちらで

 

丁度「日野ひなまつり紀行」が開催されていました

 

「桟敷窓」からお雛様を見ることができます。

 

 2月中旬から3月上旬、日野町の大窪から村井・西大路にかけての町なかの通りに面した家々や商店街のウィンドウ、近江日野商人が残した屋敷や町家など、約150ヵ所に、古くは江戸時代から現在に至るひな人形や創作人形などが飾られます。

どこか懐かしさを感じる昔ながらの町並みを散策しながら、雛飾りを眺めていただき、町並全体で「ひなまつり」を感じていただけるイベントです。また、「人力車」の運行や「日野祭囃子」の演奏などでも賑わいます(日野町HPより)。

 

こんなお雛様も

 

蒲生氏の菩提寺「信楽院」

 

本堂天井の雲竜が見どころです

 

蒲生家が氏神として庇護した「馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)」

 

ここでは「猪」が神の使いとされています

 

 当神社と猪の関係は御鎮座の由来にさかのぼる。社伝によると今からおおよそ1500年前の欽明天皇6年(西暦545年)、蒲生の豪族であった蒲生稲置三麿(がもうのいなぎみまろ)と山部連羽咋(やまべのむらじはぐい)が綿向山に猟に来てい時、一天にわかに掻き曇り、4月(新暦の5月)というのに大雪となった。二人は岩陰で雪の止むのを待ち、外に出て見ると大きな猪の足跡を見つけたという。夢中になって足跡を追いかけていくうちに、何時しか頂上と導かれ、そこに白髪の老人が現れた。その老人は「私は古くに出雲の国よりこの山に来ているが、誰も気付かずにいる。この山の頂に祠を建てて私を祀れ」と言って消えたという。二人は早速このことを時の朝廷に奏聞し、この綿向山の神様の御託宣に従い祠を建て、四季のお祭りを勤めたと伝わる。
 この謂われをもって、猪は綿向大神の神使いといわれ、御社殿や神輿、石灯籠などの装飾としても使われている(馬見岡綿向神社HPより)。

 

 両寺社で戦勝祈願と立身出世をお願いし「日野城(中野城)」へ進軍します。