今治城から松山へ進軍します。
まだ2023年の城納めしてなかったという。
「松山城」を遠目に
松山市といえば「松山城」ですが、実はもう一つお城があります。
日本100名城「湯築城」
今は「道後公園」として整備されています。
先にこちらを攻めます。
こちらは2009年末以来です
湯築城は、風早郡河野郷から出た伊予の豪族河野氏が道後に築いた城である。源頼朝と結び勢力を伸ばしたが、承久の変(1221年)で没落した河野通信、弘安の役(1281年)の活躍で勢力を回復した河野通有と浮沈を繰り返した河野氏は、通盛の代に伊予国守護に任じられ、全盛期となった。この通盛が、建武年間(1334年~1338年)に築城した湯築城は、江戸時代の『湯築古城図』によれば、内堀と外堀をもち、丘陵頂部の「本壇」と北方の「杉の壇」、東方の「中壇」の郭や家臣居住空間等を構えた、堂々とした平山城である。築城後も、河野氏は諸国との戦いや内紛をくりかえし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐で小早川隆景に降り、城もやがて廃城となった。
(松山市HPより)
まずは腹ごしらえ、お城の中で食べる名物はまた格別です
愛媛名物をこのようなリーズナブル形で味わえます。
愛媛の鯛めしは松山(東予)の炊き込み式と宇和島(南予)の漬け丼式でスタイルが違います。
一緒にすると地元の人たち叱られるかも、知らんけど。
搦め手側にある「湯築城資料館」
日本100名城、御城印はこちらで。
みかんのサービス、さすがみかん県
「湯築城資料館」から土塁に沿って反時計回りに攻めます
再現された武家屋敷
庭園もあります
土塁の中にその断面が分かる展示室があります
さらに進みます
テレビで紹介されていましたね
大手側は公園になっています、冬休みも手伝ってか子どもが多かったです
本丸を目指します
急に山城らしくなってきました
「本丸」へ息子が果敢に攻め込みます
本丸に展望台が建てられています
展望台から「松山城」がよく見えます
「本丸」から北側へ抜けると「道後温泉」の「湯釜薬師」があります
この湯釜は浴槽内の温泉の湧出口に設置するもので、これは現在の道後温泉本館ができた1894年(明治27年)まで使用されていたものです。
さらに北側(ほぼ隣)に日本最古とされる温泉「道後温泉」があります。
「厩戸皇子(聖徳太子)」も湯治にきたといわれるぐらい古い温泉になります。
「道後温泉街」の入り口に立つ「坊っちゃんカラクリ時計」
定刻になると「坊ちゃん」の世界が楽しめます。すぐ脇には足湯が楽しめます。
お城出た瞬間、外国人観光客でごった返していました。
足湯の横に「正岡子規」像、俳人としてだけでなく日本の野球伝道師でもあります
伊予鉄道、道後温泉駅に控える「坊ちゃん列車」
2009年末撮影
当時は人手不足で運転する人がいないということで運休していましたが、最近再開したようです。
環境案内所に控える温泉娘
「道後温泉街」の奥に佇む「道後温泉本館」、改装中ですが一部利用できるようです
2009年時、変わらないって凄い
「道後温泉別館・飛鳥乃湯、椿の湯」、こんなのあったけ?
「道後温泉」入りたかったのですが、あまりの人の多さに諦めました。
2023年の城攻めはこれで終了です。
2024年は愛媛で迎えます。