前回、「勝山館」の説明が抜けておりました。ここに補足させていただきます。

 

 「勝山館」は蠣崎信広が築いた城として知られています。信広とその子光広の時代には蠣崎氏の本拠地とされていましたが、1514年(永正11年)に光広が松前の徳山館に本拠を移転して以降は、主要な副城として使われました。その際、「脇館」の名を転じて「和喜の館」と称されていたそうです。現地の発掘調査の結果、国内外産陶磁器や金属製品、木製品など多数の出土品が見つかっており、また当時アイヌの人々が使っていた骨角器も出土していることから、この館でアイヌ人と本州人が混住していた可能性が指摘されており、近年注目されています。1977年(昭和52年)に「上之国館跡 勝山館」の名称で国の史跡に指定されています(攻城団HPより)。

 

 注)「勝山館」は「道南十二館」に入りません。

 

「勝山館」からさらに南に進軍、松前城を目指します。

 

 その前に海の関所と呼ばれた松前藩沖の口奉行所を押さえます。

 

 まずは「道南十二館 比石館」を攻めます。

 

崖の上にちょこんと鳥居が見えるのが分かりますか?

 

写真左側のわき道から攻め込ますが

 

藪の中に立つ案内板

 

ファ? 両側崖、車の轍があるので車で行けるの?

 

 先に見える鳥館(館神社)付近が「比石館」ですが、無理は禁物です。

 

「大滝の古戦場」を強行突破します

 

 国道228号線の大滝の沢に架かる大滝橋周辺で、明治元年(1868)11月14日に松前藩と旧幕府軍(土方隊)の間で行われた戦いです。
 旧幕府軍は、沢越えによる攻撃が難しいと判断すると、右手の沢から山に登って山から奇襲攻撃し、山から銃を一斉に攻撃したといわれています。松前藩側は驚いて防ぐことができず、陣を捨てて江差に退いたとされています(南北海道の文化財HPより)。

 

「道南十二館 原口館(推定地)」、案内板らしきものが立っています

 

グーグルさんはこの辺と教えてくれていますが、あくまで推定地です

 

 さらに南へ進軍します。

 

「道南十二館 禰保田館(推定地)」

 

 こちらもグーグルさんは館浜体験交流センター周辺と教えてくれています。

 

 渡島半島を日本海岸線沿いに南へ走りましたが、その絶景と言えば筆舌に尽くしがたかったです。

 

 そして、ようやく松前藩に到着です。

 

「松前藩屋敷」

 

駐車場の注意書き

 

 熊に対して厳戒態勢をとっています。

 そう言えば外部のスピーカーも熊避けのためか大音量でした。

 

え、映画村?

 

 あとで知ったのですがこちら、江戸時代の松前を再現したテーマパークでした。

 

海の関所「沖之口奉行所」

 

 藩士が暮らした「武家屋敷」、ニシン漁の「番屋」、「旅籠」、「髪結」など14棟の建物が建ち並び、当時の様子を伝えます。

 

ペット(犬・猫)も一緒に入場できるそうです

 

「松前の五月は江戸にもない」と言われるほどの繁栄を誇った江戸時代の松前です

 

 ここから「松前城」は目と鼻の先です。