地球の運び屋

いく社長です
 
先週祖母が亡くなりました
 
大正9年生まれ
享年100歳
おびっくりの大往生


 
ちょっと前に
脳梗塞になっちゃって
その時に
スッと行きそうな感じがしてて
それ以来
なんとなく
意思の疎通があったから
(見えないアレ的な感じで)
お別れもなんとなくすんで
長年の疑問も晴れて
ゆるゆるしてたんだけど
 
もう意識もないし
戻りそうで
戻らない
 
4/5の新月超えたら
長いかもしんないけど
そこがターニングポイントかな
思ってたら
やっぱりそうだった
 
しゅくしゅくと
見送りました
 
祖父ひとり
祖母ふたりを
見送りましたが
 
なぜか
いつも
亡くなった後に
すぐ駆けつけることになり
葬儀だなんだかんだと
だんどりつける役目になるのです
 
今回は
金曜日に秋田を出て
南下の予定があったのですが・・・
 
なんと
木曜日の深夜に
連日の過度な飲酒がたたってか
全身にじんましんが発生
 
金曜日は大事をとって
ゆっくりねることにして
出発予定をのばしたら
 
まさかの危篤の連絡
 
車もないし
じんましんだし
もじょもじょしていたところに
近所に住む弟から連絡が来て
無事、祖母が入院する病院まで
連れて行ってもらえて
お見送りができたわけでございます
 
その臨終の間際
わたしのじんましんは
最高潮を迎え
手にもじんましん
顔も赤くなり始め
ああ、もうだめだ
思っていたのですが

祖母が
亡くなったあとに
弟に促され
水をのんで
しばらくしたら
1日悩まされたじんましんは
あっという間になくなったのです
 
これが虫の知らせというやつね


 
今まで
自然にそこに生きていた命が
なくなる
わたしは
すこしアンバランスになります

 
今回はじんましんという
アンバランスもありましたが
感情のアンバランスの方がきつい
 
前回
6年前の祖母の葬儀の時は
ほんときつくて
体の中からキングギドラが
出てきそうな
感じだった
(実際ゴジラVSキングギドラが発生した)
 
世界を破壊しそうな
感情のアンバランス
 
今回ももれなく
キングギドラは
私の中に巣くっていたので
きょうだいたちに助けてもらって
なんとか
かんとか
炎とか
はみだしながらも
葬儀までを
終えました
 
でも法要は出られなかったんだよね
 
ずっとそこにあったものが
ふっとなくなることから起こる
アンバランス
 
それを感じることで起こる
感情の起伏
 
それを
うまくおさめるための
これから生きていく
家族のバランスの再構築が
葬儀であり法要であることも
頭ではわかっているんだけど
 
まだ怖い
まだ手放せない
 
私の中の
キングギドラが
その場を
めちゃくちゃにしてしまう!
かもしれない
という怖い気持ちに対して
 
あとは
うまくおさめるから
大丈夫だ
なくなった祖母は言う
ような気がしたけれど・・・
 
このアンバランスな気持ち
キングギドラが暴れるような気持ちも
失った悲しみから起こる
感情なのかもしれないな
 
もし
私の中の
キングギドラが
ギャー!って
中から出てきたとしても
出てきた途端に
それは
キングギドラじゃなくなっている
ような気もする
 
中に飼ってるから
キングギドラになっちゃうのよね

 
ああ
かなしい訳じゃないけど
涙がでる
 
ここまで色んなことが
あったな
 
祖母の存在を
一言で表現すると
『乱』
 
生きている間は
私の中で
『乱』の象徴であった
祖母は
 
亡くなった途端に
良き祖母になろうとしているし
これからも助けてくれる存在なのだと
しっかりとわかる
 
死して初めてわかりあう
 
そんな関係もあるのかもしれない
 
でもね
出来るなら
やっぱり生きてるうちに
わかりあえたらいいよね
 
私の中の
固くて冷たい
まっくろな何かを
溶かしていく時間が
とうとう始まる
 
ふたりの祖母が
支えてくれるのがわかる
 
わたしの信条は
目の前に
横たわるのは
完璧な世界
 
そのコンセプトで
生きてる
 
だから
いくら今のわたしが
この感情を
持て余しては
翻弄されたとしても
 
先に待っているのは
いつも大丈夫な世界
なんだ
 
とうとう
だれも
悪者にできない
自分の世界に
責任を持つときが
来てしまった