地球の運び屋
いく社長です

本日の
満月スナックいくちゃんには
おひとりさまのご来店をいただきました

ありがとうございました!

わたしはやっぱり
話すことが好きで
お酒をのんだりしながら
リラックスして
時間を共有するのが
しあわせだなぁと実感しました

さて
なのに
タイトル硬いね?

なんでかっていうとね

脳内で
師匠ふたりと会話したの
(あやしい)

きっかけは
スピプロで同期の方からの
フェイスブックのコメント

わたしがそこに興味を持つとは
意外だったと

ほう!

わたしは
つねに
わたしと
一緒にあるわけですから
わたしに
意外性を感じることって
あんまりないんですよね

それでね

なんで
わたしは
神骨マスター講座に
スピプロに
いこうと思ったのか?

それを
脳内で
師匠ふたりを登場させて
擬似会話をしてみました
(あくまで脳内です)



どうして講座を受けに来たの?

師匠を美しいと感じたからです
↑これは共通なんです

その美しさを
自分に投影したの??

?????

 

答えが出なくなったんですね

ある意味
両師匠の
美しさに
恋をした、と
言えるのだけど

その美しさを
ただ眺めるだけで良いのか
自分自身のものとしたかったのか?
(わたしの美しさとして
活かしたいかということね)
その問いで固まった

わたしは
常にわたしと一緒だから
時に 
わたしというものを
見失うこともある

わたしは
師匠たちに感じた美しさを
わたしの表現として
感じたいだろうか?

そう思ったら
わからなくなった

同一化しようとは
思っていないのだ

他者からの目線として
その美しさを愛でたいのである

美しさを愛でる
わたしを愛したいということ?

そこで
タイトルの登場

心は俯瞰出来ない?

神が
ビックバンを起こし
神と
神以外を作り出したのは
神自身を見つめるためだ

心は
わたしと常に密着している

密着しているが故に
俯瞰出来なくなることもある

中には
俯瞰出来る人もいるだろう

だけど
わたしには
それは難しいことでもある

わたしは
わたしの心と
密着して生きている

わたしの
心の輪郭を見せてくれるのは
他人なのだ

師匠(メンター)であり
家族であり
友人であり
他者であるのだ

師匠たちの美しさは
わたしに
美しさの素晴らしさを
教えてくれる

わたしもあんな風に
美しくありたい…と
思う反面

わたしはあんな風に
美しくなれない…と
思うこともある

めちゃくちゃだ

心って近過ぎるが故に
俯瞰出来ない

そして
わたしの中の
心の関係が
近ければ近いほど
俯瞰は難しい
(家族とかね)

あぁ、わかんなくなってきた

心との距離が近過ぎると
離れたら俯瞰出来るかも?と
距離を置いてみたりもする

だけど
どんな距離を置こうとも
近いと感じ続けたら
俯瞰なんて出来ないんじゃないかな

近くて遠い
遠くて近い
同じようで別
別のようで同じ

そんな
不確かを見つめた時に
分離を感じ
冷静に見つめられるような
気がする

自分自身の
心は俯瞰出来ない?

だから
お手伝いをしてくれる人が
たくさん現れるのだ

それは
他者として
人生に現れる

遠い関係
たとえば一期一会のすれ違い
満員電車で会っただけのひとだったりね

近い関係
たとえば家族だったり
友達だったり
恋人だったり
師であったり

ひとりでは
輪郭は
めちゃくちゃ

でも
他者が現れることで
見えてくるわたしの輪郭

めちゃくちゃって
境界線がないってことかもね

めちゃくちゃを
とことん
感じた先に

みえるものは
次のめちゃくちゃへの
階段なのかもしれないな

整いたい、と
ずっと思ってたけど

常に
めちゃくちゃで
めちゃくちゃな
カオスの中から
瞬間、瞬間
新たなわたしを
再構築していくような
生き方を
わたしはしたいような
気がする

心は俯瞰できない
あまりに密着してるから

だけど
密着してるということを知れば
それは
その混沌の中を
生きる術になるのかもしれない

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月の輪、みえるかな?