意味のない言葉を発するのが好きな社長です。



昨年末のこと。

母と車に乗っていて、何かの返事をしなければいけないときにその言葉は浮かんできました。

おそらくその時私は素直に「はい」と言いたい気持ではなくて、それでも「はい」という意思を伝えなければいけなかったのです。

「ふぇー」と答えてみました。

母の話すことにすべて「ふぇー」とか「ふぇふぇ」と答えてみたのです。

母はどうしちゃったのよ!と言いながらも話を続けていました。

否定でもなく肯定でもなく相槌を「ふぇ」の音だけで打ち続け、しまいには笑い声も「ふぇ」に統一。

「あはは」を「ふぇふぇふぇ」に変えるだけで、体から笑いが湧きあがってくるのです。


そんなことを10分続けていたらすっかり「ふぇ」が体に定着。

暴言を吐きたいときも「ふぇ」かなしいときも「ふぇ」うれしいときも「ふぇ」笑う時も「ふぇ」。

感情を言葉にしてしまえばなにかになりますが、「ふぇ」だと不思議に感情が流れていくのです。


だれかに感情を伝えたいときに言葉はとても便利ですが、伝えたくない感情は無理に言葉にする必要はないのかもしれない、と思います。

人は話したいときは、相手の意見などおかまいなく話し続けるのですから。


伝えてくれる言葉の大切さ。

の逆も大切なものであるのだ、とこの不思議な発音が私に教えてくれたのでした。


ちなみに母とは「ふぇ」でも会話が成立するようになったので、この勢いでいくとコミニュケーションは言葉ではない実験が出来そうな気がします。

海外旅行もラクラク。

宇宙人とのコミュニケーションももうすぐかな。


ふぇふぇ。