そもそもなんでブログを始めようとしたのかと言えば

あまりにぎゅうぎゅうにつまった今年を忘れないため。


2015年はとても良い年だった。

それだけで、それまでの年も良い年になるし、これからの年月も楽しみになる。


2015年1月

このあたりはまだのんびりと暮らしてた。

でもお酒を飲む量は去年より減っていたし、正月は実家に帰ったし、いつもと違うはじまりであったのは確かだ。

ちょっとしたトラブルはあったけれど、それは今考えると結局は良かったのかもしれない。

望まぬ酒飲みに行くことが減ったのだから。

この頃にシーツを毎日取り換えるの1年満願成就。

だけどこの時はこの満願成就がどうなるか?なんてわからなかった。


2015年2月

仕事が1年で一番きつい時期。

年度末は業務がキツイ。

今思うと私がそんなにキツク思うことはなにもないのだけれど

その時はそれが責任感であると思っていたし、仕事だと思っていた。

物事が思い通りにいかないことにいらだっていた。

家族と温泉に行ってカニを産まれて初めておなかがはち切れそうなくらいに食べた。

ひとつ気がきいたことをするとまわりがとても喜ぶことを知る。

さらにそれは広がりとおい未来に誰かのためにもなる。

この頃2014年末の失恋のショックが音を立て始める。

でもそれが失恋のショックだとわかるのはもっともっと後のこと。


2015年3月

仕事じゃなくて会社がきつかった。

この頃会社は本当にきつかったのだと思う。

利益をだすために、売上と経費のセツナイ関係をこの頃に痛感する。

「生きる」とはなにかを真剣に考えはじめる。

今思えば、それは「いかに死ぬか」ということでもあった。

生きたいと思わないけど、すぐにしにたいわけでもなかったと思う。

ただなにかを欲しいと思わなくなっていく。すこしづつ。

この頃、はじめて赤ちゃんを抱く機会を得る。

姪が産まれた。この世におちてきた。

あのちいさなヒトが私の人生を変えるなんてわからなかった。


2015年4月

ひさしぶりの発熱。

これがなんだったのかはわからないけど、とにかくびっくりするほど具合が悪かった。

風邪だったのか、胃がおかしかったのか。

食事は胃が痛くて入らない。

お酒ももちろん飲まない。

背中の痛みが胃の痛みを知った。

それでも家族と旅行に行き、平気なふりして過ごした。

人生で一番カニを食べた日を2カ月にして更新する予定だったのに、胃がゆるしてくれなかった。

この時の旅行で家族が私を愛していることをやんわり理解する。

おばは頭がいい人で、会話もおしゃれ。彼女との旅は勉強になる。

春を迎え始めた街をふたりで歩き、きれいなものをたくさんみた。

街の人と話すおばはとても素敵だった。

私はこの時、とても幸せだった。

でも一人の生活に戻ると、なんだかぐるぐるの渦のなかにいるようだった。

この頃、私は心が焼け野原だと感じていた。

そこにだれかが新しい種をやさしくまいていたことには、ほんの少しも気づいていなかった。


2015年5月

失恋のショックがこの頃に形をあらわす。

それは幸せのおすそわけという、やさしさから派生した。

彼はよかれと思っていたのだろう。

今ならわかるけれど。

私にも幸せになってほしかったのだろう。

しあわせに暮らす彼のように。

彼のやさしさは私にはやさしさの形をして届かなかった。

やさしさの形をそのまま受け取ることができなかった。

形を変えてしまったのは私。

だけど、気づくことはできなかった。

この頃、長く使った携帯を変えた。

これは英断だったと思う。

世界がぐわっと広がった。

私が考えているよりも世界は広いということを身をもって知る。

世界がもっともっと広くて大きいことは、もう少し未来に知る。


2015年6月

夏の旅行の計画をたてた。

けれど休暇の申請はとおらなかった。

上司に常に怒られているように感じた。

嫌われているのだと思っていた。

自分が会社にいなくてもいいんだと思うようになった。

2016年の1月に会社を辞めようと漠然と考えた。

業務の引き継ぎファイルを作成した。

会社をやめた後は、沖縄かバリ島で2カ月くらいずつ暮らそうかと思った。

住み込みで働くところがないか考えた。

8月の試験のために勉強をした。

近年は勉強の仕方がうすぼんやりだったのに、今年はだいぶクリアだった。

なんのために、生きるのかはよくわからなかったけど

こんな風にしにたいというのはわりとでてきた。

この頃は自分にかかりっきりだった。

夏の旅行の計画が通らなくて本当に良かったと思うのは、もう少し先のこと。


2015年7月

誕生月。

誕生日をお祝いしてくれるという人にやらなくても良いと言って怒らせる。

私には私の理由があったけれど、むこうにはむこうの理由があったのだから

今思えば受けるべきだったとは思う。

でもそのくらいに閉鎖していたのだ。

人生の鎖国。人との鎖国。

それでもひとつ登山をした。

登山は良い。ただひたすら登り、ただひたすら降りる。

たよりになるのは自分の足。

少しづつでも進めば目的地に到着する。

人生のようだ。

この頃、スペイン巡礼の旅行記を読みあさる。

40日間巡礼路を歩く。

何年も前に一人旅をした北海道で

巡礼路を歩いた女性から聞いた旅の話を思い出した。

私は神様を信じているし、生きるもしぬも、そのあとでも良いかと思った。

荷物を背負い、ただ歩く。

歩き、食べ、休む。

生きるをシンプルにすることにあこがれた。

その頃は気づいていなかった。

生きるをシンプルにすることはすぐに出来るということを。


2015年8月

巡礼への熱が上がる。

しかし、試験もこの月だった。

勉強し、その合間に巡礼の本を読んだ。

内臓が弱ったのか、また胃が痛んだ。

それでもお盆をどうにか過ごし、月末の試験を受けた。

上司が体調を崩した。

旅行にいっていたら勤務はカバー出来なかった。

こうなるとだれもわかっていなくても、

必要なことは必要なときに訪れるのだ。

そんなことを、嵐のような毎日の中で知る。

この頃、さとうみつろうを母から教えられる。

ブログを読んでもピンと来なかった。

まさかこのひとりのおにいちゃんが今年の大きな登場人物になるなんて思いもしなかった。


2015年9月

おそらくここが転換期。

いかに死ぬか、を考えていた私は生きるを強く意識した。

きっかけはちいさな姪。

まだ笑って、泣いて、もぞもぞ動くだけの姪。

彼女はちいさな体に生きるパワーがいっぱいではちきれんばかりだった。

だっこして歌を歌うと、おでこを私のくちびるにぺとりとくっつける。

なんだったんだろう。

言葉にはうまく出来ないけれど、あのおでこのぺとりが転換の機になった。

この時、さとうみつろう氏の神様とおしゃべりの本をめくるがこれまたピンとこなかった。

彼のブログもまだピンとこなかった。

どうも文体が好きになれなかった。

この時は。

さてその後、姪が遊びにこれる私の家があったらな・・・と考えて家を探した。

マンション、一戸建て、アパート。

そうしたら実家のものすごい近くに激安の物件を見つけた。

不動産会社へ問い合わせのメールを送った。

そこまでしても実家へ帰るふんぎりはつかなかった。

高校を出てずっと出っぱなし。実家は遠い存在だった。

この頃、まだ全然想像もしていなかった。

未来が用意しているものを。


2015年10月

みつろうスパークがおこる。

神様とおしゃべりがだめなら他の本、と思って行った書店。

黄色の本を見つける。

なぜかその本の内容はするりと頭に入ってくる。

その時に入口が開いた。

みつろうブログを読みあさる。やっとピンとくる。

そして神様とおしゃべりを買った。

ポチポチと読み始める。

時同じくして母も買う。なぜか最初に買ったはずの妹は本を兄弟へ譲ることになる。

問い合わせをした家を見に行ってみることにした。

実際に見ると、家は意外にキレイで古さは感じなかった。

内覧は混んでいて、私の前にひと組、私のあとにひと組。

こんなところに住みたいという人がいるんだなあ・・・とびっくりした。

しかしキレイなのに激安。実家の近所。悪いうわさもない。

完璧物件。

夜まで悩んで、購入の意思をメールで送った。

母のアドバイスだった。これが最高のタイミングだった。

10月の末には銀行のローン申し込みをしていた。

ここからが早い。もう新幹線に乗ったかのように出来事がやってくる。

私はただ受け取るだけ。

この頃、家族のやさしさや大切さを知る。

これが宝物になる。ずっと手の内にあったのに見つけられなかった宝物。


2015年11月

みつろう大スパークがおこる。

ブログ読みこむ。本はほどほど。

あとは妹と母とのスピトーク。

脳みそが三つあるから意見交換もしやすい。

考えも広がる。

無限に広がる世界に毎日感動するばかり。

11月のあたまにストレスで顔がパンパンになるも

TGGヨーグルトを始めて解決。

玄米食もついでに始めてみた。

2週間後には5kg痩せていた。分母が大きいと減る数字も大きい。

11月の末に家は契約の運びとなった。

この頃、母と社長と呼び合っていた。

呼び合いはじめた4日後にわたしは起業のチャンスを得た。

いとも簡単に。


2015年12月

なぜか月の前半に連休が二つはいり、旅行を画策。

いろいろ探すもしっくり来ず。

妹の家に遊びに行こうか・・・と考えるも足が進まず。

そんな時目にはいったさとうみつろう忘年会。

関係ないし、行きたくないし、と思っていたついこの間。

なぜかピンときたから日程の合う福岡会場へ行こうかと旅程を検索。

しかしうまくいかない。

いつもならすっきりいくのにいかない。

あきらめて、どこにもいかない気持ちになったら満席だった東京会場に空きが出た!

月始仕事の締切がいつもより一週間遅かったから

妹の旦那さんが出張でいなかったから

すっきり休みもとれて旅程もかちっと決まる。

忘年会へ参加して、10月ごろに思ってた「行きたくない」はどこかへ消えた。

私の神様のおしゃべりはみつろうさんサインしてもらって、妹の家に置いてある。

彼女の本は私たちの弟を助けた。

私の本はそんな彼女にたくさんのプラスアルファをお土産にしてかえっていった。

人生はうまく出来ている。




いかに死ぬかを考えていた春


会社を辞めたいと願った梅雨時


鎖国の夏


楽ちんで安定をのぞんだ秋


びっくりするほどのスピードで生きた初冬


シーツ毎日変えたり

いろんな本を読んだり

吉方位いってみたり

伊勢まいりしてみたり

TGGヨーグルトにはまってみたり

みつろうを知ったり


ずっとずっといろんなことをやってきたけれど


2015年にもたらされた学びに感謝

しぬも生きるも同じだけれど

生きるにフォーカス出来るようになったことに感謝


これが今年の良かったこと。

思い返せば、すべて願いどおりで

さらにプラスアルファまでついてきた。

想像もしないところから、想像もしない形で。


蔵は無限だ。

与えられたものはすべて受け取ろう。