わたし観察日記

わたし観察日記

わたしとわたしとの対話記録。

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わたし自身、ジャッジが強い人間だ。

だいぶ離れてきたと思っても、癖で気づけばジャッジしている。


これは好きだ嫌いだ
これは素晴らしいあれはダメ

そんなことを反射的にやっている。


勿論、ジャッジというか、自分の中の基準を持つことは大事なのだけど
四六時中比較してはジャッジしていると本当に疲れる。


これを
やめよう、と思ってからもう3年くらい。


体感としては
最初が100として比べるともう、2割にも満たないまでに減ってきたと思う。


ジャッジ、というと人や行動に善悪や甲乙つけること、と考えがちだが

何気ない日常の反応もそれに基づいているかもしれない。



たとえば、今日ひとつやめたことは
「夫のした行動に心の中でツッコミを入れること」。


気づけば夫が何かする時、ツッコミを入れている。

「なにそれ」
「うわ、汚れた手でテーブル触んないで」

などなど。


それを今日はやめてみた。


ただ見る。


夫がちょっと口拭くだけなのにティッシュをやたら使う。


ただ見る。


夫がトイレを開けっ放しにして用を足している。


ただ見る。



ほんとは毎回
「そんな使わないで」
「匂い広がるから閉めて」

とか言ってたけど今日はやめた。


ただやめて、ただ見る。


すると不思議と
イラッ とする気持ちがスゥ と消えていった。



我慢するのとは違う。

ただ見過ごすような感じ。




そうすると

あー。わたしいちいちヒトの行動チェックしてたんだなー

ってちょっとまた痛い部分に気づく。


同時に、心の平穏も感じたりする。




ジャッジしたり文句言ったり。
まだまだヒトに構い過ぎていたようです。




心も口もおしゃべりなわたしは
たまに黙る、はこれからも続けてみよう。

普段何気なく使っている言葉を振り返る。

「黙る」

と言うキーワードが何回も来るので
試しに黙ってみる。


すると普段どれだけ自分がおしゃべりで
余計なコトバを使っているのかがわかる。


もしコトバが有限だったら。

汚いコトバや人を傷つけることは言わないだろう。


でもよくよく考えたら、
コトバって有限なんだよね。


人生が、時間が、有限なことと同じで、
この人生で使えるコトバにも限りがある。


時間が有限なのだから、その中でどこにどの時間を使うか、ということを考えなくちゃ。


コトバを使って人を不快にさせる時間なのか
コトバを離れて心を落ち着ける時間なのか
etc..


「黙る」ことでわたしが見たのは、
「ただ見る」だけの世界。


必要な衝動とコトバだけを拾い
端的に伝える。

そのためには、「見る」ことが必要なんだ。


普段いかに口先に頼って 目の前のものを見ていないか がわかる。



子どもや夫に対して特にそうで
言う必要のないことまでついつい言ってしまっている。


相手の機嫌を損ねたり、耳障りなのはわかっていたとしても。



それは相手に対する甘えだし
自分に対する不信感。

自分の不安を垂れ流しにするなよ。

コトバに依存しすぎるな。



外に発するのではなく
自分がまず自分の不満を見よう、と思った。

楽な方に逃げること



我慢してたところから楽しいことへ逃げること



同じ 楽 でも 逃げる でも
全然ベツモノで。


自分に嘘ついてラクな方に逃げると罪悪感や苦しみがつきまとってくる。

我慢していい人やって、そう言うところから本来の自分の楽しさへと向かうことは、
自分を軽くしていく。



努力しろってことじゃない
苦労しろってことじゃない。



「それは本当にあなたの楽しいことなの?」
「それは本心からそこへ行くの?」

って問いかけること。





わたしは最近、ラクと楽しい、を履き違えてる場面があって
それに気づいて愕然とした。

自分に愕然とした。



まだまだ逃げてた。

卑怯者。
詐欺師。

その領域じゃん って。



誠実でいることの大切さ。

誠実とは、自分を偽ることなく本心から行動していくこと。



痛いほど感じたの。



それは知人がメッセージくれたからで。

「あの時やるって言ってたあのこと、やるの?」

って。


わざわざメールくれた。


色んな理由つけて正直逃げてたよ。
自信ないって諦めてたよ。


でも、来年に残したくないし、
信じてくれた人に報いたい。


そんな想いで、純粋に動けるようになってきた。


不安かもしれないけど
時に痛いかもしれないけど

わたしはわたしの決めたことを守ってあげないといけなかったよね。


だから、これからは、自分からは、逃げない。


そう決めた。