先ほど、思いあまって

実母に電話しました。

 

娘のこの発言

 

「なんでオーストラリアに帰らなきゃいけないの?」

 

(詳しくは前の記事見てね)

 

ひょっとしたら、

ただの疑問として聞いただけなのかもしれないけど、

突き詰めて考えてしまう

私の悪いくせ。

 

 

ひょっとして、

周りから

「オーストラリアなんて帰らんと、

ここにおればいいのに」

なぁんていわれてんじゃないだろうか

 

って思ったりしてさ。

(きっと誰かには言われてるんだろう)

 

うちの家族なら言っちゃうかもな。。。

 

と思って連絡したわけですが。

 

 

 

 

「私だってさ、

ちゃんと娘のこと考えてこっちにおるって決めてるし、

 

英語だってできたほうが、

将来選択肢だってたくさん広がるしさ。

 

オーストラリアに来たのだって

並大抵の覚悟できたわけじゃないし。

 

そんな、軽はずみに

「こっち(日本)におればいいのに」

なんて言われたって困るわけ。」

 

「そんなことは言ってないよ」

 

「私だってさ、お父さんやお母さんに

いっぱい反対されても

オーストラリアに移住するって決めたわけだから

 

(もうここでこらえきれず号泣えーん

 

娘がどうしても行きたいって

日本で頑張ってやりたいことがあるっていうなら、

最終的に反対しないでおこうという覚悟はあるけど、

 

それは今じゃないし、

こんなに簡単に決められることじゃないし

 

何より、

娘には「日本に行きたいと思うなら、

それ相当の覚悟を見せなさい。

 

今の状態では学校の勉強にもついていけないから、

オーストラリアの学校の勉強にプラスして

日本語も勉強しないとついていけないよ。

 

お料理だって、お掃除だって、洗濯だって

自分である程度できるようにしてね」

 

とくぎを刺したのは4月。

 

だけど、娘からはそんな気負いは全く見えなかったし、

結局日本語教材を開いたのも11月末になってから。

 

娘の本気がまだ見えてない。

 

だから、日本にいさせるわけにはいかない」

 

 

黙って母は聞いてくれて、

「うんそうだね、

今はまだ若すぎるよね」

とだけ言った。

 

もうさ、

それ思い出しただけで

今になっても泣ける。

 

母とは

私がオーストラリアの永住権をとる以前から

散々もめにもめて、

アデレードに私を連れ戻しに来たくらい。

 

カンガルーアイランドのホテルで

夜な夜な話し合って

「お母さんが言うように日本に帰って、

もし、私が不幸せだってかんじたら

絶対お母さんのせいにするからね!!!」

とぶちぎれたら

 

母はもう、何も言わなくなった。

そして黙って帰っていった。

 

っていうのが

もう10年以上前の話。

 

 

その後、元旦那のたっての希望により

日本に帰国することになり、

2016年末に実家にお世話になるようになって

 

ぶつかることはいっぱいあったけど

(私が外人みたいになってたからwww)

 

旦那も娘も快く家に入れてくれて

4年も同居して

 

私が引っ越してアパート借りるって言った時も

オーストラリアに再移住するって言った時も

離婚するって言った時も

 

ぜーんぶが突然だったけど

 

結局「そうか。わかったよ」

って言ってくれた母。

 

 

ぜーんぶ思い出したら、

もうね感謝しかなくて

号泣しかできんわけ。

 

 

あぁーーーーもう!!!

 

お母さん、ありがとう。

 

なかなか言えないけどね。

 

近くにいると

腹の立つこともいっぱいあるんだけど

 

やっぱり、

母が私の母でよかった。

 

いつもいつも

勝手な娘でごめんなさい。

 

私も、母のように

なれるかしらね。

 

 

感謝の気持ちを忘れないための

備忘録です。