一番下のクラスからの英語。 | のほほん介護士、海を渡る。

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日本、ニュージーランド、オーストラリアで介護して10年あまり。職場、国を転々としながらも介護を続けてるHarumiの奮闘記録とつれづれなるままに日常のことも書いています。2013年7月娘が生まれました。子育てのことも書いてます。

大学時代の1ヶ月の留学は

つらいこともたくさんあったけど、

自分の成長には欠かせないものでした。

自分の価値観はガラッと変わりました。

見たことも聞いたこともないところに

行って感じてみるってすごく重要なことだと感じました。

そして、何でもやればできるんじゃないかっていう自信にもなった気がします。


とはいえ。

かなり痛い目にあったので、

今度は長期で留学して、絶対英語がしゃべれるようになりたいと

思うようになり、

でもまあ、親はほいほいお金を出してくれるタイプでもないので、

就職してからの貯金は海外留学のため、と目標を立てていました。

(ちなみに親は結婚資金に当てるんだろうと思ってたようです)


就職して2ねん。

そろそろ身も心も疲れてきたので、

そろそろいっちょやったるかぁ~~~~てな感じで、

シドニーの1年留学に旅立ったのが2002年。


今度は、

絶対に一番下のクラスからみっちり勉強してやろうという野望???

で、

わざと最初のクラス決めのテストはおバカ回答を連発し、

めでたく一番下のクラス(エレメンタリー)に入ることができたのです(笑)

まぁ、そのときには脳みそもつかってなかったから、自分の実力でも

本当に一番下のクラスだったかもしれないけど。。。



の、割にはエレメンタリークラスの癖に、

先生(OZ)のしゃべるスピードが早い早い。。。

クラスメイトの頭に?????がたくさん浮かんでました。

でも、おバカ回答しても、みんなそんなに英語ができないので、

ぜんぜん平気♪

その辺のリラックス具合が本当によかった。



留学して1ヶ月したら、

なぁんとなく、ホストファミリーが質問してくる内容がわかるようになり、

3ヶ月したら、

聞かれていることについて、なんとなく答えができるようになり、

半年したら、

自分が言いたいことが言えるようになり、

1年したら、

そこそこの日常生活会話ができるようになった。


私はゆっくりしたペースでやってたのでこんなもんです。


留学が終わるころには

「ここを絶対に母国にしてやる!!!」

と新たな野望を持ったのでした。