今日はおばあちゃんの血圧のクリニックへ来ました。
毎月受診しますが、12月は私の入院で連れて来れないと話したら、薬を多く出していただけたので、今日まで来なくて済みました。

脚が痛い時にはヨタヨタ歩くおばあちゃんの介助が辛く、一緒にひっくり返ってしまいそうだったのですが、今日は雪で足元が悪くても自分は困ることなくクリニックに来れました。

私が嫁に来た頃からあまり母らしい人ではなく、あまり交わるところのない人でした。
そんな頃から少しずつ認知症が始まっていたのでしょうか。
息子の誕生日も覚えていなく、ましてや私の誕生日など知る由もなく、実家の母との違いに寂しい思いがしたものです。実家の母は10歳若かった。

2013年の12月31日に腰骨の圧迫骨折をして冬の間ベッドで過ごして以来、食事の支度などができなくなりました。今までやっていた煮物や漬物が作れない、畑の野菜づくりもわからない。

実家の母も2013年秋に白血病を発症し年内に寛解しましたが、翌年2014年春になっても自分は病気だと決め込んでしまったところがあり、夏頃から精神的に様子が変わってきて、家に置いておけず精神科に入院させ、介護認定を受けてショートステイやデイサービスを使うようになりました。

おばあちゃんも後を追うように認知症と診断されて介護認定を受けデイサービスを使うように。

2014年夏以降、2人の母が母でなくなりました。
母と娘が逆転した感じ。寂しかったですよ。

それでも実家の母は私の身体の事だけは心配してくれました。

実家の母が白血病の診察に通っていた病院で今回人工股関節の手術を受けました。

母にとっては精神的に参ってしまった、嫌いな病院でしたが、私は今回の人工股関節置換術で、この病院を克服しましたよ(^^)