25年3月9日午前8時、滋賀県大津市の皇子山陸上競技場。
約7200人のランナーがグランドに集まった。
早朝ともあって寒さが身に染みた。
しかし、活気があふれるランナーの大集団は壮観だった。
8:20、びわ湖マラソン2025の号砲が響いた。
22年で幕を閉じたびわ湖毎日マラソンの後継大会。
フルマラソン一種目で今年が3回目で、自分は初参加。
平たんなコースで走りやすいとの評判だったが、
自分にとっては試練の大会になった。
大津、草津、守山という三市の琵琶湖沿岸がコース。
スタートして数キロで琵琶湖の湖面が目に入る。
左手に日本一の湖の光景を見る道がしばらく続く。
トイレを示す掲示板には次のトイレまでの距離を表示。
写真の0.2㎞のように1㎞未満の場合が目についた。
さすが、日本一の湖。公衆トイレが整備されていた。
トイレをあまり心配せずに走ることができた。
正面の高層ビルはホテル。数少ないノッポビルだった。
5㎞を過ぎた後、近江大橋を駆け抜けた。
広大な湖の風景を眺められ、さすが日本一と感動。
立ち止まって記念写真を撮るランナーが続出した。
湖の周辺は基本的に都市化されていない。
コースで目に入るのは、
広い空、広い湖、遠くの山々、周辺の木々や台地。
山々の中には雪化粧しているところもあった。
晴天ともあって、開放感あふれる爽快な景色が続いた。
人里離れた吹きっさらしのコース脇でも熱心な応援。
地元の人々の温かいサポートを感じる大会だった。
25㎞を過ぎた所で思わぬモノが現れた。
写真右奥にあるフィニッシュゲートだ。
つまり、フィニッシュ会場を横目に走る格好になった。
丁度、3時間15分のペーサーとランナーたちがゴール。
会場からMCの声と観客の声援が響いた。
自分は練習不足と足指のしびれが響き失速中。
自分にとっては、あまりにも早すぎた歓声だった。
ゴールが遠くなるような気がして、心が折れそうになった。
タイム無視で完走だけを目指そうと考えて踏ん張った。
立て直すためには、まずは足のケア。
救護所に入り、裸足になって足指をもみほぐした。
鍼灸師ら救護スタッフとも対話。
痺れ、痛みがひとまず緩和でき、再スタート。
ただ、その後のコースはフィニッシュ会場に戻る折り返し。
表現は悪いけれど、
42.195㎞を確保するための距離稼ぎのようなもの。
これまでも、いくつか経験したが、苦い思いが多い。
ゴールあるいはゴール近くを通りすぎ、
戻ってくるためにどんどん離れていくのは嫌なものだ。
湘南国際マラソン、東京マラソンなどだ。
しかも、青空、湖、山並みという見事な光景も、
長く続くとだんだんと飽きてきた。
しかも、足指のしびれが時折ぶり返した。
自分にとっては試練の時間だった。
それでも、何とか頑張ってゴールイン。
制限時間まではある程度の余裕があった。
残り6kmほどの地点で偶然、ランニング仲間と会い、
心身ともリフレッシュできたという幸運もあった。
苦しかったけれど、それだけに達成感も大きかった。
◇ ◇
大会を支えてくれた地元の皆さんに感謝します。
そして、自分を励ましてくれたランニング仲間にも。
何はともあれ、無事に完走できて良かった。
皆さん、ありがとう。
◇お ま け◇
大会会場の最寄り駅、JR大津京駅は早朝大混雑。
降車してから改札を出るまで10分かかった。
2階のホームから1階の改札に降りるのも大変で、
ホームの待合室で5分ほど待機した。
自分は京都駅から乗ってきたが、
車内は通勤電車並みのギューギュー詰めだった。
大会の手荷物預けは専用のビニール袋を利用。
自分は京都の宿泊先⇔会場の行きかえりとも袋を利用。
写真のように袋に着替えなどを詰め、
そのままむき出しで持ち運んだ。
ところが、駅でも車中でも、駅から会場への道でも、
同じような格好の人は一人も見かけなかった。
リュックなどで持ち運び、会場でそれを袋に詰めていた。
駅で、不思議そうな目で見つめられたこともあった。
この方が手軽で便利だと思うのだけれど……