3月3日(日)
初めて出場した東京マラソン。
冷たい雨にたたられた厳しいレースになった。
42.195kmを完走した達成感は格別だった。
約3万8千人という規模の大きさ、沿道に溢れる応援の人々。
外国人ランナーのシャツの背中で、
外国のビッグレースのロゴを何度も目にした。
例えば、シカゴ、ベルリン、ニューヨーク・シティ……。
日本を代表する大会を体験できたことを素直に喜びたい。

公式プログラムで見るコース。
新宿を出て、日本橋、浅草、門前仲町まで東に、
その後戻って銀座、芝を経て東京駅でゴール。
折り返したランナーが横並びで走る区間が多い。
具体的には日本橋⇔富岡八幡(10~28km)と、
日比谷・有楽町⇔品川(31~41km)。
コース全体の三分の二が上り下りの”二車線”となる。
よっぽど早いか遅いランナー以外は
すれ違う集団をいつも眺める。
前も後ろも沢山走ってるなぁ~、という思いが募った。
自分より速い人が沢山いるし、遅い人も沢山いる。
そんな現実を改めて感じた。

スタートラインは新宿の都庁前。
大人数だけに、スタートラインまで延々と歩く。
私は後方のブロックだったので、
号砲からスタートラインを踏むまで18分かかった。
大会の制限時間7時間で、参加資格は6時間40分以内の完走。
つまり、20分のスタートロスは前提になっている。
右手奥にいる緑色の集団は盛り上げ役の男性合唱団。
雨が降る中、傘も雨合羽も無しで歌い続けた。
感謝。

新宿の街に一斉に走り出す。
ビル街を背にして山手線が走るおなじみの風景。

7~8kmあたりで通ったお茶の水・神田神保町周辺。
大音響の歌に合わせてランナーたちがY・M・C・Aを踊る。
16年に出たNAHAマラソンでも同様のシーンがあった。
NAHAは生演奏だったが、今回は録音音源だったようだ。

お江戸・日本橋が10km地点近く。

女子のマスゲームのような応援をよく目にした。
大学生らしい集団から幼い少女まで幅広かった。

途中で見つけた警察官グループ。
隊列を組んで黙々と走っている場面が多かった。
おそらく、警備など公務なのだろう。
お疲れさまでした。
リュックに何が入っているか気になった。
さすがに尋ねる勇気はなかった。

正面から浅草・雷門に向かって走る。
確か、14~15km地点だった。
まだ、元気があり、ピッチが速まった。
目印が出来たからだろう。

雷門前を右折すると、次は東京スカイツリー。
この切り替わりが、私の選んだベスポイント。

浅草を過ぎ蔵前、門前仲町などを通る折り返し。
前のランナーとすれ違うランナーで道が埋まる。
行きも帰りもこんな人、人、人の状態が続く。

29~30kmで銀座の中央通りを通過。
百貨店には大迫、設楽両選手の特大ポスターが。
だが、設楽選手は出場せず、大迫選手は途中棄権。
本人とポスターのツーショットは未遂に終わった。

銀座のシンボル、和光前を右折し、日比谷・有楽町へ。

日比谷・有楽町の31km地点近くで左折した。
その時道の反対側に「残り1km」の表示が見えた。
つまり、5km走って5km戻るということ。
ゴール目前での「う回」に心が萎えた。
折り返し地点までの5kmが精神的に一番きつかった。
その途中、芝でおなじみの大門を通過。
反対側を通る折り返しランナーがうらやましかった。

品川駅近くまで延々と走って、ようやく折り返し。
ここで心機一転、気を取り直した。

残り1kmを切ると、丸の内仲通り。
石畳の上をスパート。
スピードランナーだと、滑って転ばないかな、
と余計な心配をした。

残り100~200mで左折すると、ゴールポストが目前。
後ろは東京駅、ゴールの先には皇居。
最後の力を振り絞ってゴールした。
スタッフ、ボランティア、応援の皆さん。
どうも、ありがとうございました。
お疲れさまでした。