沖縄市の遠征記最終稿です。
今回の宿舎は、米軍嘉手納基地を抱えるコザ地区(旧コザ市)だった。

中心部を貫く大通りの「コザゲート通り」。
道の先には嘉手納基地のゲートがある。
いうなれば、参道、門前町…。
米軍基地の前とあって、何となく異国の雰囲気が漂う街並み。店の装飾、看板にはアルファベットが溢れている。一方、街にはシャッターが目立ち、寂れたような雰囲気が漂う。「TATOO」の店が多いのは、米国人客が多いためだろうか。看板をみると、営業時間は夜7時から12時。いわゆる歓楽街の店だろう。わざわざ「日本人歓迎」と書いてあるのは、米国人主体の店だからだろう。夜になると、明かりが点灯。空が暗くなると、道の周りは明るくなり、活気がでてきた。夜が主体の街だから、昼はシャッターが目立つのだろうか。コザゲート通りの入り口。ビルには「頑張れ広島東洋カープ」の大看板。プロ野球のカープがシーズン前のキャンプを張っているからだろう。街の至る所でカープを応援する旗、垂れ幕を見かけた。カープをあしらった土産用の菓子もあった。中心商店街のサン・シティ。シャッターの閉じた店がズラリ。案内図には多くの店が並んでいるが…。所々で飲食店などが営業中。「チバリヨー(頑張れ)広島東洋カープ」の旗が並ぶ。飲食店跡を再利用した地元の歴史資料館。興味深い資料がそろっていて勉強になった。残念ながら、人通りは少なくシャッターとカープの旗ばかりが目立つ。コザの中心部も後継者難や公害商業施設の増加で空洞化が進んでいるという。一方では、新しい店が進出する動きもあるそうだが、5年後、10年後にはどうなっているのだろうか。