5月の岩手遠征の旅行記「平泉編」です。

世界遺産の毛越寺の浄土庭園。
毛越寺は平安時代中期(850年頃)、天台宗の高僧に創建された。
その後、一時すたれたが、藤原氏によって再興された。
この庭園は平安時代の庭園の趣を伝えている。
眺めていると、思わず吸い込まれるような奥の深さがある。

ところが、そんな厳粛な庭園の前にこんな手持ち看板。
思わず笑みがこぼれるようなフレーズが何種類もあった。
写真撮影のための仕掛けだろうが、自撮りも意識したように思える。
若い人にも親しみやすい世界遺産にしようという”営業努力”に見えた。

いかにもご利益がありそう。
ありがたく一杯いただきました。

そして、なんといっても目を引いたのが、このお守り。
この歳になると、無関係とは思えない。
当然のように買ってしまった。
正確な値段は忘れたけれど、お守りとしては標準的な相場だったと思う。
そして、もっとカボチャを食べようとも思った。
なぜ、毛越寺でボケ封じなのかは分からない。
◇ ◇

世界遺産の主役、中尊寺ではお目当ての金色堂まで杉並木を約20分歩いた。
金色堂を見るのは初めてで、楽しみだった。
なかなか現れないもどかしさが、有難さにつながった。

ようやく金色堂に到着。
この角度の写真はこれまでに何回眺めただろう。
今さらながらだけれど、実はこのお堂は本物の金色堂を保護するために被せた覆堂。
中に鎮座していた金色堂は、イメージより小さめだったが、豪華絢爛。
1124年に藤原清衡が建てた当初は、金箔のお堂がむき出しで置かれていた。
見る者を圧倒する迫力だったのだろう。

金色堂完成後50年ほど過ぎて簡素な堂ができ、室町時代中期(16世紀)にこの形になった。
以来、金色堂を守り続けていたが、昭和38(1963)年に現在の覆堂が完成、代替わりした。
役目を終えた老兵が佇んでいる感じ。
自由に中に入れ、歴史を感じることができる。

中尊寺で気づいたのが、御朱印所の多さ。
本堂、金色堂に至る途中の様々なお堂それぞれで独自の御朱印を出していた。
合計すると、十カ所以上だった気がする。
一枚300円でも、全部をいただけば、結構な金額になる。
私は金色堂だけに絞った。
確か、高野山でも、比叡山でも御朱印所は多かった。
御朱印は寺社側の貴重な収入源になっているだろう。