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8月15日(月)
終戦の日の前日、1945(昭和)20年8月14日まで、
大阪城は東洋最大の兵器工場だった。
明治の初め富国強兵の一環で設けられた兵器工場「砲兵工廠」が拡大、
第二次大戦中は現大阪城ホール、臨時プールのある広場など1.18ヘクタールになった。
約6万人で大砲、戦車、弾丸などを生産していた。
しかし、8月14日の大空襲で徹底的に破壊され、ガレキの山になった。
戦後は廃墟の鉄くずなどを拾って生計を立てる人々が周辺に集まり”アパッチ族”と呼ばれた。
アパッチ族は、開高健の「日本三文オペラ」など数々の小説の題材になった。

砲兵工廠跡の石碑は、大阪城ホールと太陽の広場の間の木陰にある。
1959(昭和34)年に元従業員の団体か別の場所に建立し、その後現在地に移設された。
ホール、広場という賑わいの場にひっそりと佇んでいる。

昨日怠けた分を取り戻すため頑張って5.39km