
8月11日(木)
天守閣北側に位置する山里丸。
石垣の一角に抉り取ったような傷跡がいくつもある。
今から71年前、昭和20(1945)年に戦闘機の機銃掃射で受けた傷跡だ。
ここだけではない。
大阪城の石垣には、所々に空襲の傷跡が残っている。
爆撃ではがれた部分は修復されたものの、
焼かれて黒焦げになったような跡がはっきりと分かる。
第二次世界大戦が終わる昭和20年、
3月から8月14日までに大阪は八回、米軍の空襲に見舞われ、大阪城も標的になった。
というのも、大阪城は軍の中枢であり、軍事施設でもあったからだ。
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観光や散歩、ランニング、ポケモン探しなどで様々な目的で人々が集う大阪城。
その平和な姿の中に、時折戦争の歴史が見える。
終戦の日を迎えるこの時期に、その歴史をたどってみたい。
二度寝して寝過ごしたのでラジオ体操をズル休みした8.01km