
7月31日(日)
日本最北端の宗谷岬から車で約一時間南の浜頓別町。
北オホーツク100kmマラソンは、
人口約4000人のこの小さな町の大きな挑戦だという。
最北の小さな町でも全国の人を集めてウルトラマラソンを開ける、
という意気込み。
それに共鳴したなどという格好いい理由ではない。
この時期にフルマラソンを走れるチャンスが無いかと探した結果、
何となく「面白そうだ」という雰囲気もあり初めて出場した。
大会前日の朝8時に大阪・伊丹空港を出発、
羽田で稚内行くに乗り換え、稚内空港からはバス。
会場に到着したのは午後3時半という大遠征だった。

大会は100kmと50kmの二部制。
出走者は合計618人というこじんまりした大会。
私が出場したのは50kmの部(187人出走)で、
スタートは午前10時。
町の中心部にある多目的アリーナ前が、
スタート(ゴール)地点だった。
スタート前、
「記録重視のランナーは前の方に並んでください」とアナウンス。
おおらかな感じが良かった。

50kmの部スタート前。
号砲を待つ選手たちには、どことなくのんびりムードすら漂う。
この日は例年にない高温多湿予想。
「記録を目指すよりとにかく完走」という人が多かったようだ。

市街地をしばし走って、
3km地点当たりからは海岸線を左手に見ながら走る。
曇り空のせいか、海は灰色で暗いイメージ。
右手にはこの地域のあちこちで見かける風力発電の風車。
風が強いことの証明だろう。
海辺では海からの風が涼しく救われた。

10kmを過ぎて海辺を離れ、丘陵、田園地帯に。
「牛横断注意」との表札があるように、
牧場の多い中山間地域だ。

酪農地帯だけに、
牧草をまいて保管する「牧草ロール」が転がっていた。
その牧草ロールを包装して文字や絵をかき。
応援用に展示してくれていた。
10kmを過ぎたころには既にランナーがばらけて、
人影が少なくなってきた。

時間の経過とともに前も後ろのランナーの姿が減る。
距離が長く、参加者が少ないのだから当然。
はるか先に小さく見えるランナーを追い走る。
私の後続ランナーもはるか後ろ。
道の両側は緑の原野もしくは牧草地帯が延々と続く。

別に私が取り残されていたわけではない。
真ん中より前を走っていた。
それでも、視界から人気が乏しくなる。
原野、牧草地帯なので沿道の人影もない。
すっかり孤独なランナーとなった。
しかも、この日は日中の気温が28度まで上昇。
30度を超えた場所もあったそうだ。
しかも、湿度が高く、異例の高温多湿状態。
日差しに焼かれ、汗にまみれ、
一人黙々と走る求道者の雰囲気だった。

暑さにうだる孤独なランナーを癒してくれたエイド。
50kmの部でもコースの途中に20カ所。
平均すると2.5kmに一カ所の割合で、
地元の人が出迎えてくれた。
飲み物、果物、捕食といった補給だけではない。
「大阪から来たの」「頑張って」「暑いのに御苦労さんだね」
ちょっとした会話が大きな励みになった。

しかも、各エイドには火照った体を冷やすための、
「かぶり水」が用意されていた。
自分で水をかぶる、あるいはかけてもらったり、
シャワーを浴びたり。
この「かぶり水」が無かったら、どうなっていたか。
エイドは、ランナーのオアシスだった。
私は、途中から50kmのゴールを目指す意識がなくなった。
「2~3km走れば、またおしゃべりして水をかぶれる」
と楽しみにしながら進んだ。

エイドの人もランナーを待っていてくれた。
道の中央に立って、双眼鏡で見つめる。
ランナーが見えると、ゼッケン番号を仲間たちに伝える。
すると、仲間が名簿で名前を探す。
ランナーがエイドに着くころには、
「大阪のムンパパさん、お疲れさま」と呼んでくれる。
これは文句なしにうれしい。
しかも、その後言葉を交わすきっかけになった。

小さな町だから、当然ながら沿道の応援も限られる。
でも、応援してくれる人は熱心で、暖かく、フレンドリー。
地元の人を、とても近く感じた。

ゴールイン目前には、
「大阪のムンパパさん、ゴールです」とアナウンス。
ゴールテープもいちいち用意してくれた。
規模が小さいからできるといってしまえば、それまでだが。
走っている側は、そんな心づかいがうれしい。
時間とお金をかけてはるばる遠くまで来た。
でも、それだけの価値のあるマラソン大会だった。
関係者の皆さん、ありがとうございました。
◇ ◇
この50kmマラソンで荒稼ぎをした結果、
7月の月間走行距離は237.93kmに。